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癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報

ロバーツ氏がん克服しパドレスコーチ就任

 沖縄生まれのデーブ・ロバーツ氏(38)が2日(日本時間3日)、がんを克服しパドレスのコーチとして球界復帰する喜びを明かした。08年まで ジャイアンツなどで10年間プレーした同氏は昨年、血液のがんを発症し、闘病を続けた。今季から一塁ベースコーチに就任。現在は選手と自主トレ中で「自分 がプレーした街を訪れるのを楽しみにしている。ファンに元気な顔を見せ、彼らのサポートに感謝したい」と抱負を話した。

2011年2月4日 日刊スポーツ

| 白血病が治った体験談 | |
浅野史郎(元宮城県知事)がん治療順調 コメンテーター復帰のラブコール

歯切れのいいコメントでならした元宮城県知事の浅野史郎(62)が、「がん」治療のためテレビから姿を消したのが昨年4月。このとき、医者からは「余命11か月」と宣告されていたが、彼はいまも元気だ。「もう1回フルマラソンを走りたい」なんて言っている。

浅野の病名は「成人T細胞白血病(ATL)」。ウイルスによるもので、感染者は全国で108万人といわれるが、潜伏期間50年という珍しい病気だ。生涯発症率は5%未満。大半の人は発症しないまま一生を終わる。
「余命11か月と言われたけどフルマラソン走りたい」

横浜にある浅野の自宅をレポーターの所太郎が訪ねた。玄関先で、「手を消毒してください」「風邪をひいてる人はいませんね」と尋ねられる。治療の副作用で免疫力が極端に低下、雑菌は大敵だ。赤ちゃんですら母乳から免疫をもらうが、それ以下なのだという。
スパモニでお待ちしてます

食器も煮沸消毒、室内のカビ、ほこり、あらゆるものに注意をはらう。書斎を掃除して、機器のアルコール消毒は光子夫人(60)の役割。本人も血糖値を測り、インシュリンの注射をする。

「余命11か月」は衝撃だったというが、11か月で死ぬのは半数。なれば「戦いがいがある。勝ってやろう」と思ったという。抗がん剤骨髄移植で乗り切った。いま、散歩に出るまでになった。

ウイルスは感染ルートがはっきりしている。母親の母乳なのだ。母親は「ごめんね」 と言ったそうだが、浅野は「責任はないですよ。62年も前だし、そんな知識もないんだから」

知事時代の検診でATL感染はわかっていた。そのため、免疫細胞に異常がないかを定期的にチェックしていて、発症もわかったのだそうだ。浅野は「感染は妊婦検診でわかりますから、感染していたら母乳をやめれば子どもへの感染は防げる。病気も根絶できる」という。

取材中、ずっとかぶっていた毛糸の帽子を取ると、抗がん剤で一時なくなった毛髪が戻りつつあった。

「これがふさふさに戻ったときが復帰のときだと思っている」

いまは近所の散歩程度だが、「もう1度フルマラソンを走りたい。同じ病気の人にも私自身にも勇気になる」

最後に妻の光子さんに「妻の存在がありがたい。ありがとう」

赤江珠緒キャスター「相変わらず浅野さんらしい明るさを拝見して、ホッとしました」

鳥越俊太郎(ジャーナリスト)も「ユーモアのある人でね。知事時代から知っているが、今日見てホッとした。もっと悪いかと心配していたが、ここにまた戻ってきてもらいたい」

所によると、浅野夫妻は「今日一日何も起きなかったのが小さな一歩」といているのだそうだ。

赤江「スーパーモーニング、お待ちしてます」

よかった。見ていてホッとした。

2010年9月7日 J-CASTテレビウォッチ

| 白血病が治った体験談 | |
白血病治療の前宮城県知事 浅野史郎氏が退院

 成人T細胞白血病の治療のため、昨年6月から東京都内で入院していた前宮城県知事の浅野史郎氏(61)が退院した。

 浅野氏によると、東大医科学研究所に入院後、骨髄バンクを通してドナーが見つかり、昨年中に国立がんセンターで骨髄移植手術を終えた。順調に治療を続けて3日に退院し、現在は横浜市の自宅で療養生活を送っている。

 ただ、高い確率で再発や拒絶反応が起きる可能性があるほか、免疫抑制剤の服用で感染症を発症するリスクも高く、外出と行動は制限されている。

 浅野氏は「多くの方々にご心配をお掛けしましたが、順調に治療を終えて退院することができました。病気に必ず勝つという信念を持ちつつ、気を緩めず気長に療養を続けたい」と話している。

2010年02月06日 河北新報

| 白血病が治った体験談 | |
「余命半年」から生還 息子の恩返し

がん
患者支援サロン 志木の古賀秀子さん開設

 血液のがんと呼ばれる白血病で余命6カ月を宣告されながら、生還を果たした息子の恩返しがしたい――。家族を巻き込むつらい闘病経験をした志木市の古賀秀子さん(70)が、がんに苦しむ患者や家族らと語り合い、不安や心配事を和らげる一助になればと、無料のがんサロン「たんぽぽの会」を始めた。患者支援の先に目指す最終目標は
「検診率をもっと上げて死亡率を下げること」だという。

◇不安緩和に語らいの場提供

 17日午後、東武東上線・志木駅近くの「フォーシーズンズ志木ふれあいプラザ」の一室に、がんと闘っている患者や元患者、その家族ら男女15人が集まった。

 昨秋、前立腺がんが判明したという一人の男性(73)がこう切り出した。「パニックになる時もある。年が明けても、治るわけがなくつらい。つらくても言う相手がない。妻に言うと、妻も気分が沈んでしまう。別に犯罪を犯したわけでもないのに。どうすればいいのか……」

 うなずきながら聴き入る参加者。男性はこう続けた。「今日はわらをもすがる思いで来た。インターネットを見ると文字情報はあるが、苦しいとか調子が悪いとかは感覚で話すことだから」

 古賀さんも、「私も突然、息子が余命6カ月と言われ、誰に話せばいいのか分からなかった」と打ち明ける。

 長男紳一郎さん(45)が急性リンパ性白血病を発病したのは、02年9月。骨髄バンクに登録したが、ドナーが見つからず、長女で姉の真美さん(49)から造血幹細胞の移植を受けることに。難しいとされた移植は成功し、紳一郎さんは今も元気だが、一時は「2人の子を同時に失う危険もあったのです」。

 母として味わった厳しい経験も踏まえ、1年前に勉強会「埼玉県のがんを考える会」を立ち上げた。勉強を重ねる中で「もっと患者の話に耳を傾けたい」と、心の苦しみに耳を傾けるサロン開設を決意した。弟のドナーになった真美さんも「がんは情報戦。受け身でなく、積極的に早く入手することでがんとの共存も可能になると思う」と話す。

 サロンは毎月1回開く予定で、次回は2月7日午後3時から同所で。「私たちは医師でも看護師でもない。でも、遠回りをする間に患者が命を落とすことがないよう、一緒に調べて考えたい。一人で悩まないで」と古賀さん。問い合わせは古賀さん(090・6712・7048)へ。

2010年01月25日 朝日新聞

| 白血病が治った体験談 | |
がん患者や家族に『支え合いの輪を』 志木で「たんぽぽの会」初会合

 がん患者らでつくる「埼玉県のがんを考える会」(古賀秀子代表)は十七日、志木市本町五のふれあいプラザで、がん患者や家族らが交流を深め、情報交換をしてもらう無料サロン「たんぽぽの会」の初会合を開き、患者ら十五人が参加した。

 古賀さん(70)=同市中宗岡四=の長男紳一郎さん(45)は急性リンパ性白血病になったが、七年前に造血幹細胞移植をして克服。紳一郎さんの闘病を支えた古賀さんの支援者ら約百六十人で「がんを考える会」をつくり、県内のがん検診の受診率を向上させようと、昨年一月から勉強会などを開いてきた。

 サロンは「長男を助けていただいた恩返しに患者や家族の力になりたい」という古賀さんの提案で始め、今後も月一回開く予定。初会合では「都心の病院に通っているので、地元の仲間が欲しかった」などの声が出た。

 古賀さんは「がんは最近は外来治療が中心で、患者同士の交流の機会が減っている。情報交換や悩みを語り合ってもらい、支え合いの輪を広げたい」と話している。

 問い合わせは、古賀代表=(電)090(6712)7048=へ。 

2010年1月18日 東京新聞

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日本新薬、骨髄異形成症群治療薬の承認申請

 日本新薬は9日、骨髄異形成症候群治療薬「NS−17」(開発記号、一般名はアザシチジン)の製造販売承認を厚生労働省に申請したと発表した。
希少疾病用医薬品の指定を受けており、優先審査の対象。同疾患に有用な治療はなく、承認されれば初の専用薬となる。同社にとっては血液がん分野の製品拡充につながる。約1年後の承認取得を見込む。

アザシチジンは同症候群の腫瘍細胞のDNAで高頻度にみられる異常なメチル化を阻む。海外臨床試験では、従来治療の生存期間が15カ月であったのに対しアザシチジン群は24.5カ月と有意な延長が確認された。米国では「バイダザ」の製品名で販売されている。

2009年12月10日 The Chemical Daily

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がんと生きる 歌舞伎俳優・市川團十郎さん

■舞台復帰をただただ願い… 「辛かった移植後の副作用」

 歌舞伎俳優の市川團十郎さん(63)が血液のがん白血病と宣告されたのは平成16年5月。7歳で初舞台を踏んで以来、第一線で走り続けた團十郎さんは再発や移植手術を乗り越え、今は毎日舞台に上っている。家の芸である荒事さながらの超人的強さは、舞台復帰という強い目標に支えられたものだった。(文 飯塚友子)

 16年5月、ちょうど倅(せがれ)(現市川海老蔵)の襲名公演が始まった直後、体調がおかしくなり、病院で急性前骨髄球性白血病という宣告を受けました。 

 「よりによって、何でこの時期に」ってショックでした。公演に備えて4月、人間ドックにも入ったばかりなのに。「舞台は?」ってお医者さまに聞いたら、「ダメです。即入院です」。そのときは残念というか悔しいというか。

 すぐに抗がん剤の投与とトレチノインというカプセルの服用が始まりました。髪は抜けましたが大きな副作用もなく、幸い1カ月くらいしたら体調が安定し、10月の(海老蔵襲名)パリ・オペラ座公演で復帰しました。

 本当に大変だったのは、翌17年8月の再発後。体調は悪くなかったのですが検診で再発が分かり、前回と同じ治療は効きませんから自家末梢(まっしょう)血幹細胞移植をすることになりました。

 そのときはトリセノックスっていう亜ヒ酸、要するにヒ素を使うわけですね。ちょうど私が発病したとき、許可になったばかりの病院でも初めて使う薬だと聞き、驚きました。こういう治療は5年おきに結果をみて審査するわけですから、治療を受ける身でありながら、ある面で実験台でもある。それを60日間、点滴し続けました。待望の寛解(かんかい)がん細胞が検出されない状態)という言葉を頂きました。

 この間は副作用もほとんどなく、のんびりしていました。暇なので、ペンで何か書こうと思ったら腕に管が入っているので負担が大きい。そこでパソコンで入院日記を書き、インターネットに載せました。

 寛解後はしばらくのんびりして、移植に進みました。自分の造血幹細胞を取っておいて冷凍保存し、大量の抗がん剤を入れて、幹細胞を戻す治療です。この(移植の)前処理が1月10日ごろから始まりました。

 本当にきつかったです。かなり強い抗がん剤を目いっぱい、生きられるギリギリまで入れちゃう頭に抗がん剤を入れたときには、ちょっと気を失いました。これで台詞(せりふ)が覚えられるのか、おっかなかったですね。

 それで1月23日ごろから、保存しておいた自分の幹細胞を戻し、(移植細胞が造血の働きをする)生着を待つわけです。その間、もう今まで経験したことのない辛(つら)い症状というか。

 勝海舟の咸臨丸じゃないけれど、嵐の中で揺れる船底にいるような状態が昼も夜もなく、ずーっと1週間ぐらい続きます。ムカつきや口内炎、皮膚がガサガサしたり。あと、腹痛です。今までの人生、あちこち痛いとかあったけれども、それから比べれば王様です。普通は腹痛も波があるけれども、「痛ー」っていうのが、ズーっと続くんです。一番きついときは、枕元の明かりすら刺激が強すぎてダメ。カーテンを引いて、真っ暗な中、ただただジーっとしていました。

 そういうときは、もう何も考えられないです。無間地獄のようで、あのとき目標持てたら大したものです。さすがに物は食べられませんでしたが、ただ這(は)ってでも動いて、手洗いやうがいをしていました。

 リスクの高い治療でしたが、2週間後に生着が確認できました。2月下旬に退院し、5月の再復帰の舞台は、「外郎売(ういろううり)」。早口の台詞がしゃべれるか心配でしたが、何とか覚えてられた。でもやっぱり覚える力は前より弱まって、時間はかかりました。

 ところが貧血が続き、19年夏過ぎ、赤血球が急激に減っちゃったんです。白血病の再発とは違うのですが、今度は妹(市川紅梅)から同種造血幹細胞移植を受けることになりました。

【プロフィル】市川團十郎
 いちかわ・だんじゅうろう 歌舞伎俳優。昭和21年8月6日、東京生まれ。十一代目市川団十郎の長男で、28年に初舞台。33年に六代目新之助、44年に十代目海老蔵、60年に十二代目團十郎を襲名。屋号は成田屋。江戸歌舞伎を代表する存在で、平成19年にパリ・オペラ座公演が成功。11月26日まで、東京・隼町の国立劇場の「外郎売」「傾城反魂香」に出演中((電)0570・07・9900)。


2009年11月19日 産経新聞


| 白血病が治った体験談 | |
元NBAスターのカリーム・アブドゥル・ジャバー、白血病を告白

ニューヨーク(CNN) 米プロバスケットボールNBAの元スター選手、カリーム・アブドゥル・ジャバーさん(62)がこのほど、慢性骨髄性白血病であることを明らかにした。昨年12月に診断されたという。普段の生活に支障はなく、この病気の啓発活動などを勢力に行っているという。

カリーム・アブドゥル・ジャバーさんは1960年代、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のバスケットボール選手として活躍し、主力センターとして全米大学体育協会(NCAA)トーナメント3連覇を達成した。

大学卒業後、ドラフト1位でミルウォーキー・バックスに入団。1971年にNBA王者となり、75年にロサンゼルス・レイカーズに移籍すると、引退する89年までに5回のNBA優勝の原動力となった。

祖父と父、おじがいずれも大腸がんだったため、昔からがんを身近に感じていたこと、自分自身も大腸がんになりやすい遺伝子を持っていることから、NBAが支援するアフリカ系米国人を対象とした大腸がん啓発活動を続けてきた。ところが、自分がなったのは大腸がんではなく、血液のがんだったという。

現在は、治療を続けながら慢性骨髄性白血病の啓発活動を行っている。また、がんを発症しながらも医師の指示に従わずに薬を飲まない患者が多いという問題を聞いて驚き、治療の重要性を訴える活動も行っている。

米国がん協会(ACS)によると、今年1年間で慢性骨髄性白血病を発症したのは約5000人。このうち、薬470人が余命わずかとされている。また、このがんの5年後生存率は44.4%

2009年11月11日 CNN

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