RECOMMEND
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
OTHERS
 
癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報
マイケル・ダグラス、がんに勝利宣言

昨年8月に末期の喉頭がんを患っていることを発表し、治療を続けていたマイケル・ダグラスが1月11日、米NBC「トゥデイ」のインタビューに、「私はがんに勝った」と語った。

ダグラスは、「腫瘍は消えた。とても調子が良くて、ほっとしている」と語り、「この状態を維持するために毎月、検査を受けないといけないから、完ぺきな幸福感とはいかないけど、この6カ月間は大変だったからね」と安どの表情を浮かべた。 また、「放射線治療の結果、唾液管が閉じてしまったから、特に夜は口の中が乾いて眠れないこともある。ほかにも問題が残っているけど、徐々に解決しつつある。それだけだよ」と数年は治療の副作用と闘わねばならないことも明かした。

しかし、食欲は戻っているそうで「ブタのように食べている」とジョークも飛ばしている。「15キロ近く体重が減ったけど、5キロ以上戻したよ」と話しているように、医師から食べ物に関する制限は受けていないという。 ダグラスは、スティーブン・ソダーバーグ監督がメガホンをとり、マット・デイモンと共演する伝記映画「リベラーチェ(原題)」の撮影を控えており、「筋肉が大分落ちちゃったから、鍛え直さないとね」と意欲を見せている。同作では、ド派手な衣装とパフォーマンスで一世を風びしたゲイのピアニスト、リベラーチェを演じることが決まっており、治療中から準備を行っていたという。

ダグラスがアカデミー賞主演男優賞を受賞した「ウォール街」の続編「ウォール・ストリート」は、2月4日から日本公開。

2011年1月11日 [映画.com ニュース] 

| 咽頭がんが治った体験談 | |
【NBA】ナゲッツに名将復帰、がんに勝ったカール監督

20日、ネッツ戦で指揮を執るナゲッツのジョージ・カール監督=デンバー(AP)20日、ネッツ戦で指揮を執るナゲッツのジョージ・カール監督=デンバー(AP)

 がんとの闘いに勝ち、名将がコートサイドに戻ってきた。昨季終盤、がん治療のためチームを離脱した米プロバスケットボールNBA、ナゲッツのジョージ・カール監督が今季、元気な姿で采配を振っている。

 22日のウォリアーズ戦では106−89の大勝。これでチームは8勝6敗(25日現在)と波に乗り始めた。カール監督は序盤戦を「毎日が最高」と表現。地元紙「デンバー・ポスト」も、25日の祝日に引っかけ「彼にとっては毎日が“感謝祭”だ」と祝福した。

 昨季はプレーオフを控えた3月中旬から、のどと首のがん治療に専念せざるを得なくなった。監督を失ったチームはプレーオフ1回戦でジャズに敗退した。

 スーパーソニックス、バックスなどで実績を重ねた同監督は、通算1000勝も目前。「うちは試合ごとに成長していくチーム。選手たちは自信を深めつつある」。今度はコートでの戦いで大きな勝利を目指している。

2010年11月25日 共同通信

| 咽頭がんが治った体験談 | |
生への思い写真集に がん克服の氏家さん、花の力強さ表現

写真集「慈悲の花」を出版した氏家さん

 宮城県大崎市岩出山の市職員氏家国浩さん(44)が、写真集「慈悲の花」を出版した。写真の大半は、3年前に上咽頭(いんとう)がんと診断され、闘病生活を送った後に撮影された。現在は健康を取り戻したが、「自分を立ち直らせるために撮った」と話している。

 がんの診断を受けた2007年夏の数カ月前から今年春にかけて撮影した60点を収録。多くが花の写真で、民家の軒先や空き地の花がたくましく咲く姿を切り取った。
 「不安にかられて、身近な所にある光を探していた」と氏家さん。「がけっぷちに立ったとき、死を思うのは人間だけだと思う。花は生きることだけを考えていると感じ、シャッターを切っていた」と振り返る。
 写真には「自然は繰り返す、ただ繰り返す」など、氏家さんの言葉も添えられている。
 氏家さんは15年ほど前から本格的に写真撮影を始め、09年、アマチュア写真家を対象とした酒田市土門拳文化賞の奨励賞を受賞した。この時に出品した30点の組み写真の中の20点も写真集に収められている。
 A5判で、名古屋市の出版社に依頼して自主制作した。1300円。連絡先は氏家さん0229(78)2825。

2010年11月18日木曜日

| 咽頭がんが治った体験談 | |
米俳優マイケル・ダグラス、今週中にがん治療終了へ

咽喉(いんこう)がんを患っている米俳優マイケル・ダグラス(66)が、8週間の化学療法と放射線治療をまもなく終了することが分かった。広報担当者がピープル誌に明らかにした。

広報担当のアレン・バリー氏によると、ダグラスは今週中に最後の治療を受ける予定で、治療終了を非常に喜んでいるという。

1987年の映画「ウォール街」でアカデミー主演男優賞を受賞したダグラスは、8月に進行度が深刻とされるがんであることを明かしたが、医師団は回復に楽観的な見方を示していた。

バリー氏は、ダグラスが今後定期健診を受けながら、6週間にわたって療養する見通しだとコメント。ダグラスは今週、ニューヨーク市内にある娘の学校まで一緒に歩く姿が撮影されている。

2010年10月12日 eiga.com

| 咽頭がんが治った体験談 | |
喉頭がんのマイケル・ダグラス、『ウォール・ストリート』のプロモ続行宣言!

喉頭がんの宣告を受けたマイケル・ダグラスが、9月24日から全米公開される『ウォール・ストリート』(日本2011年1月28日公開)のプロモーションを予定通り決行する、とピープル誌が報じている。

医師とダグラス本人が楽観的な見解を示したにもかかわらず、8週間の科学療法と放射線治療を行うと報じられたため、メディアがこぞって『ウォール街』(87)の続編『ウォール・ストリート』の公開延期やレッドカーペットなど、すべてのプロモーション活動をキャンセルすることになる、と書きたてた。

それに対して20世紀フォックスは、「映画の公開日はそのままです。マイケルは、予定されていた宣伝活動をすべてこなすつもりで、レッドカーペットにも参加する強い意志をもっています」との声明を発表した。

2010年8月22日 MovieWalker

| 咽頭がんが治った体験談 | |
ビースティ・ボーイズのMCA、がん闘病からの復帰プランを明かす

がんと闘病していたビースティ・ボーイズのMCAことアダム・ヤウクが、映画・テレビ情報サイト「Movieline」に近況を語った。

MCAは今年7月、喉の左側の耳下腺という唾液腺に悪性腫瘍(がんが見つかったことを発表。その後、摘出手術を受け、療養生活を送っていた。

「手術の後、今は体調が良いんだ」とMCAは休暇先のハワイから同サイトに伝えた。「でも、確実に興味深いもんだよ」。

MCAはまた、ビースティ・ボーイズが現在ツアーの計画をしていることや、発売が延期されていたニューアルバム『Hot Sauce Committee Part 1』のリリース予定について触れた。

「今ちょうど(発売日を)調整しているところだよ。今年の9月に発売を予定していたんだけど、健康上の問題で延期せざるをえなかったんだ」とMCAは説明した。

MCAいわく、バンドは来年春に行われるアメリカの野外イベント「コーチェラ・フェスティヴァル」への出演を検討しているそうだ。

「それがうまくいくかどうか、検討しているところさ。信じてよ、もし実現すれば、楽しくなると思うよ」とMCAは加えた。

2009年12月8日 MTV

| 咽頭がんが治った体験談 | |
がんと闘う元プロボクサー・カシアス内藤 父子で目指す世界一

 横浜中華街で赤いランタンが映える午後9時すぎ。ほど近いE&Jカシアス・ボクシングジム(横浜市中区吉浜町1)で、元東洋ミドル級王者でジム会長のカシアス内藤(本名・内藤純一)さん(60)が構えるミットに、長男で「高校3冠」を達成した神奈川県立磯子工高定時制3年、律樹(りっき)君(18)がパンチを繰り出す。父の恩師から続く夢である世界チャンピオン。内藤さんを襲った咽頭(いんとう)がんとも闘いながら、親子で挑む。

 内藤さんは1949年、日本人の母と米国人の父の間に生まれた。71年に東洋王者になり、一度引退するが78年に復帰し、翌年引退する。この間を描いた沢木耕太郎さんのノンフィクション「一瞬の夏」でも知られる。

 律樹君は授業を終えてからジムへ。父の名が重荷になった時期もあったが、「今は気にならない。練習するのは自分なんで」。中学で野球部を引退した後の06年秋から本気になった。父譲りのサウスポー、フットワークを生かした戦法で今年10月に新潟国体ライト級少年の部で優勝。全国高校選抜、高校総体と合わせて目標の3冠を達成した。

 グローブを手にしたきっかけは05年2月のジム開設。それまで「いくら勧めてもやろうとしなかった」(内藤さん)が、病を押して奮闘する父の姿を見て変わった。

 内藤さんは03年末に末期の咽頭がんと診断された。「自分のジムを作って後進を育てる」。多くの世界チャンピオンを生み出した名トレーナーで恩師の故エディ・タウンゼントさんと交わした約束が胸をよぎった。「自分自身が世界チャンプになるという約束は果たせなかったが、ジムを作る約束は破れない」。恩師と自分の本名の頭文字を冠に、ジム名を付けた。

 手術を勧める医師に「切ったら声が出ない。トレーナーとして致命的」と、抗がん剤と放射線治療を選んだ。「3カ月だけでも」と覚悟していたが、約6年後の今も治療と指導は続く。「寝る前に今日も無事だったと確認するのが日課だよ」。ジムではすべてを忘れ集中できる。長男と世界一を目指すボクシングが、生きる力だ。

 律樹君は、2012年のロンドン五輪で金メダルを取ってプロ入りを、と思い定める。「本当に強くなるにはオリンピックも遠回りじゃない」。父には元気でいてほしい。世界チャンピオンになる日まで。

2009年12月8日 毎日新聞

| 咽頭がんが治った体験談 | |
警官ボクサー最後のリング
引退試合を前に、練習に打ち込む松永さん

 がんを克服して、プロ・アマを問わない33歳以上の経験者のためのボクシング大会「ザ・おやじファイト」の50歳以上フェザー級王者となった相浦署警部補・松永悟さん(54)が3日、東京・後楽園での試合を最後に引退する。約4年間、ボクシングを通じ、自身のリハビリだけでなく、少年の更生支援にも取り組んできただけに、「がんという挫折があったからこそ充実した人生が得られた。夢をあきらめずに努力する大切さを最後まで伝えたい」と意気込んでいる。(河津佑哉)

 「バン!バン!」――。松永さんは連日、勤務後に佐世保市有福町のジムに立ち寄り、愛用の黒いグラブを身に着け、サンドバッグに向かう。壁には、「挫折こそすべての始まり 感動こそすべてが変わる時」と、松永さんが考えた文章の張り紙がはられている。

 首のリンパ節のしこりに気付いたのは48歳の時。転移性がんだった。翌年には中咽頭がんが見つかり、2度の手術で除去。生きることに絶望しそうになったが、「妻と3人の子どもを残して死ねない」と、リハビリを兼ね、30代半ばまで打ち込んでいた趣味のボクシングを再開。半年ごとにがん検査を受けながら、ジムへ通った。

 おやじファイトには2007年から挑戦。08年3月の大会で47歳以上(現在は50歳以上)のフェザー級王者になって以来、2度王座を防衛した。

 リングに立ち続けるもう一つの原動力になったのが、ジムの教え子たちの存在。「少年鑑別所に入ったり、親をがんで亡くしたりした若者たちに、何かに打ち込む充実感を伝え、励ましたかった」と松永さん。

 しかし、今年6月、妻・真由美さん(51)が、夫のガン再発を心配して倒れ、引退を決意。「長生きしてほしいから、ボクシングをやめてほしい」と病室のベッドで泣く真由美さんの姿に、グラブを置く意志を固めたという。

 引退試合の相手は、40歳以上フェザー級の王者。一回り以上年下のハードパンチャーだ。「二つのチャンピオンベルトを腰に巻く夢をかなえたい」

2009年11月2日 読売新聞

| 咽頭がんが治った体験談 | |
増幅マイクで質問・喉頭がん克服の高橋松伏町議

 松伏町議会9月定例会の7日、一般質問が行われ、高橋昭男議員(65)=新自民クラブ、3期目=が、増幅マイクを使って初めて質問した。高橋議員は喉頭がんの手術で声帯を切除。言葉を失ったが、リハビリを続け、一般質問できるまでになった。増幅マイクを使っての議会での質問は全国的にも珍しい。
 質問は町内を通る都市計画道路「浦和野田線」の進捗状況を尋ねるもので、高橋議員は増幅マイクを首にあて、議場のマイクを使って「地域の利便性が高まるので、早期実現を」と呼びかけた。聞き取りにくい部分もあるだろうと、あらかじめ、質問の原稿も執行部に配布していたため、速やかに答弁も行われた。
 質問を終えた高橋議員は「手術後1年で不安でしたが、器具を使って質問することができた。議場で皆さんに質問が聞こえるか心配でしたが、質問原稿をあらかじめ執行部と議員に渡していたのが良かった。少し自身がついたので、今後も増幅マイクを使って議会活動を続けていきます」とほっとした様子で話していた。
 同議会の荘子敏一議会運営委員長は「議運では、議員の基本的権限である発言の機会を高橋議員に与えるだと一致しました。今後は代読やパソコンや大型モニターを導入した文字質問なども研究していく」と意欲的だった。

2009年9月14日 東武よみうり

| 咽頭がんが治った体験談 | |
再起の響き 咽頭がん克服26日舞台へ 山形のアマ声楽家

本番に向けて熱心に練習する天野さん

 2007年10月にがんと診断され、闘病生活を送った山形市のアマチュア声楽家、天野英彦さん(73)が26日、1年半ぶりに「復帰コンサート」を開く。放射線治療の影響で声が出にくくなったり、唾液(だえき)が出なくなったりする障害に見舞われたが、「歌うことが一番の薬」と自らを励ましてステージに立つ。

 天野さんは山形大教育学部で声楽を学んだ後、県職員や天童市職員の傍ら、文化活動にかかわった。本格的に演奏活動を始めたのは退職後。定期的に演奏会を開いていたが、古希を迎えた2年前、一つの区切りとしてラストコンサートを開き、いったん表舞台から引退した。

 その半年後、左の奥歯の奥に指の先ほどの大きさのしこりのようなものが見つかった。

 病名は、口の中にがんができる中咽頭(いんとう)がん。声楽家としては致命的な病気だった。

 2カ月入院し、放射線治療と制がん剤で治療。がんはほぼ消滅したが、体重は12キロ減り、声帯にも放射線が当たったため声はがらがらに。さらに、唾液がほとんど出ないため、常に口の中が乾燥し、日常生活でも水分補給が欠かせない状態だ。

 「がんと診断されたときは、もう二度と歌うことはできないとあきらめた」という天野さんだが、仲間からの応援や、「病気だからといって、沈んでばかりもいられない」という強い意志で復帰を決意。

 発声練習を重ねた結果、高い音は出にくいが、声量はほぼ元に戻った。
 今回のコンサートでは、中高年になじみ深い「荒城の月」や「浜辺の歌」、「見上げてごらん夜の星を」など計15曲を披露する。天野さんは「がんを患ってもめげずに頑張っている姿を多くの人に見てもらいたい。同じ病気の人への励みになれば」と意気込んでいる。

 コンサートは、山形市山寺の「山寺風雅の国 馳走舎ホール」で午後6時開演。入場料2000円。山形市内のプレイガイドで販売している。連絡先は天野さん023(623)0057。

2009年07月16日 河北日報

| 咽頭がんが治った体験談 | |