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癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報
小児がん完治しても障害や後遺症―お笑い芸人断念した23歳の自殺

昨年夏、1人の若者が自らの命を絶った。上野將人さん23歳。だが、写真を見るとまだ少年のように見える。幼い頃の小児がん治療の影響で、身長が伸びなかったのだ。残されたパソコンには、「不公平だ。ボクのせいじゃないのに」とあった。

子どもの死因で一番多いのが小児がんだ。白血病、脳腫瘍、リンパ腫など、かつては不治の病だったが、治療法の進歩でいま10万人が克服している。しかし、その半分が何らかの障害や後遺症に苦しんでいるという。抗がん剤などの影響が成長とともに現れるのだ。「晩期合併症」という。

「晩期合併症」で低身長や骨粗鬆症


將人さんは1歳のとき神経芽腫と診断された。神経のがんの一種だ。当時は2人に1人は死ぬとされ、強い抗がん剤が使われた。5年後、医師から完治したと告 げられた。小学生時代の活発な男の子の映像が残る。高学年になって異常が出た。身長が伸びないのだ。同級生と並んだ写真で、將人さんの頭は同級生の胸のあ たりまでしかない。本人も親も治療の影響だとは思わなかった。

国が晩期合併症の追跡調査をしたのは昨年が初めてである。年齢と治療内容によって、ホルモン異常からくる低身長や不妊、二次のがん、骨粗鬆症など症状も様々だが、調査では女性の50%、男性の64%に晩期合併症があった。10年、20年前に治療した医師たちにも想像できないことだった。

將人さんは専門学校を出たが、少年のような外見にアルバイトすらみつからなかった。そこでお笑い芸人へと踏み出す。低い身長は武器になる。18歳で養成所に入ったが、19歳のとき白血病を発症する。骨髄移植で克服するが、 副作用に苦しみ、お笑いの道を断念した。

遺書には「これ以上家族に負担をかけたくない」とあった。父親は涙で「生まれてきてよかった」という。必要なのは継続してケアしてくれる医療体制だったの だが、国の専門委員会の初会合はやっと先月(2011年1月)開かれたところだ。將人さんが知らずに背負っていた代償は大きかった。

英国はがん登録制度で長期ケア

元国立がんセンター総長の垣添忠生さんは「晩期合併症が起こる可能性をはっきり伝え、ケアする必要がある。数が少ないから、集約化して専門的な対応をすることだ」という。

その実例が、10年以上前から実施しているイギリスだ。中部の拠点病院「バーミンガム小児病院」では、地域の小児がんのこどもを集めている。治療が終わると晩期合併症のリスクをきちんと伝え、長期フォローアップに入る。これを可能にしているのががん登録制度だ。

治療を受けた1370万人のデータと定期検診によってリスクを予測し、個々の患者に合った長期のケアができる。「子どもたちが自分らしく生きられるように国が支えるべきだ」と医師は言う。

ある若い女性の話がよかった。小児白血病の治療の合併症で低身長のうえ、17歳で脳腫瘍を発症した。しかし、フォローアップのお陰で早期発見・治療に成功。今月から看護師として小児病院で働く。

「やりたいことができて幸せです」

がん登録は日本では可能だろうか。垣添さんは「がんの現状把握・対策に重要だが、個人情報保護法がかべになっている。個人情報は秘匿して、がんの情報は集めるようにすべきです」と話す。

医療の技術では日本は最先端だと思っていたが、哲学の構築では10年以上の遅れがあるとは驚いた。自殺した青年が本当に痛ましい。

*NHKクローズアップ現代(2011年1月31日放送「小児がん 新たなリスク」)

2011年2月1日 J-CASTニュース

| 小児がんが治った体験談 | |
小児がん医療の新たな壁「晩期合併症」(上)

 「急性リンパ性白血病」「ウイルムス腫瘍」など、一昔前までは患者の1割程度しか治癒しなかった小児がん。化学療法の進歩などにより、この30−40年で治療成績が飛躍的に上昇し、平均すると7−8割の患者に治癒が見込めるようになったという。ところがその一方で、命を救うために成長著しい小児期に、複数の抗がん剤投与や放射線照射を行ったことが原因と考えられる「晩期合併症」と呼ばれる問題が今、注目されている。欧米などのデータを基に早くから晩期合併症への体制整備の必要性を指摘してきた聖路加国際病院小児科医長の石田也寸志氏に、国内での実態や課題などを聞いた。(前原幸恵)

■「晩期合併症」とは

―「晩期合併症」とは具体的にはどういうことが起こるのですか。

 例えば幼いころ、神経芽腫の治療でおなかに放射線を受けていたことを知らされないまま大人になった人が、40歳で大腸がんになり、放射線治療をするとなったとき、自分の過去の治療について知らないので、医師に何も伝えることができません。その結果、同じ場所に放射線治療を受けたら、組織壊死など思わぬ出来事が起こる可能性があります。
 また、小児期のがん治療で抗がん剤のアドリアマイシンを300mg/m2投与された人が成人して乳がんを発症し、同じアドリアマイシンを使って治療するとします。そのとき治療する医師が患者の過去の治療内容を知らなければ、アドリアマイシン300mg/m2をさらに投与し、その結果、患者が心不全を起こすことも起き得るでしょう。
 小児がん自体、またはその治療などが影響して起こるこうした事象を「Late Effects」(晩期合併症)とわたしたちは呼んでいます。小児がんの罹患者は現在、推計で年間2500人と、大人のがんに比べて患者数が圧倒的に少ないため、その結果起こる晩期合併症は一般的にあまり知られていないと思いますが、治癒率がここまで上がり、小児がんを経験した長期生存者が今後ますます増えてくる今の時代、わたしたちは晩期合併症について多くの方が知り、対応の必要性を理解してほしいと思っています。

―ほかにも確認されている症状は何かありますか。

 海外のデータや国内の調査結果によると、心機能障害、肺線維症、悪性度の高い二次がんなど、生命に大きくかかわるものや、不妊症、知能障害、慢性疼痛など、直接生命には影響しないものの日常生活のQOLに強く影響するものが挙がっています。さらに心理的・精神的な影響も含めると症状は幅広く、また症状の重さに差もあります。それらをすべて含めると、小児がん経験者の半数近くに何らかの問題が残っている可能性があると考えられています。

―症状が多岐にわたるということは、原因もまたさまざまということでしょうか。

 その通りです。説明したように、過去に受けた治療について正確な情報を持っていないために新たな疾患を発症し、治療を受けた際に問題を起こす場合もあれば、小児期に最善の治療として行ったものが原因で10年後、20年後、患者に晩期合併症が起こることもあります。
 小児がんの中で3分の1を占める急性リンパ性白血病の場合で説明しましょう。
 昔は治癒率がほぼゼロでしたが、抗がん剤を複数組み合わせることで寛解の状態を維持できるようになった疾患ですが、1960年代から70年代にかけて、そうした治療をした半数近くの人が脳や脊髄(中枢神経)に再発し、亡くなっていることが分かったのです。
 このような中枢神経浸潤を回避するため、米国の病院で頭に放射線を当てる治療法が開発され、飛躍的に治療成績が向上し、それが世界の主流となりました。
 ところが80−90年代に今度は、頭に放射線を当てて治った人の中に、知能障害や低身長などの問題が起きていることが分かってきました。こうした晩期合併症を解決するために、90年代から2000年代にかけて、頭に当てる放射線の量を減らす治療法の研究が行われ、同時に抗がん剤投与の工夫も進められた結果、現在では中枢神経に浸潤がない限り、急性リンパ性白血病に対しては、頭に放射線を当てず、抗がん剤を組み合わせた化学療法で治すという流れになっています。
 このように、小児期の治療を原因とした晩期合併症が起こることが分かってきたため、海外ではいち早く、小児がん経験者の予後を長期にわたり追跡、研究する「長期フォローアップ」(以下、長期FU)システムの整備が進められてきました。それが現在のよりよい治療法の開発や、晩期合併症の減少や予防に役立てられています。
 日本は欧米に比べて長期FUへの取り組みが遅れているため、早急に整備に取り組むよう、われわれ小児科医が動き始めたのです。

―昔から治療の研究という意味では、フォローアップするシステムがあったと思いますが、国内で整備が必要視される「長期FU」と治療研究との違いは何ですか。

 今までは治療成績というのは、5年生存率やせいぜい7−10年の予後を見て判断していました。つまり臨床研究としてはそこで途切れてしまっていたのです。ところが小児がんは、大人のがんと比較しても治癒後の生存期間が圧倒的に長いため、20年、30年後、さらにそれ以上時間がたった時にどんなことが起きるのかを、ずっと研究フォローしていかなくてはいけません。
 また、研究フォローする対象も100人、200人といった限定的なものではなく、全国的な整備を行って数千人規模にする必要があります。そうしないと、まれにしか起きないが患者に非常に悪影響を与える問題を発見したり、その問題に特定の治療が関係しているかどうかを疫学的手法を用いて確かめたりすることができないからです。
 今後、長期FUによって十分な医療情報が日本で蓄積されれば、最終的に、ほとんど後遺症の残らない治療で、かつ成績もいい治療開発ができる可能性が広がります。今は生存率がいい治療が残っていますが、治療成績の向上は当然ながら、短期的には多少副作用が多くても長期的な問題が起こらない治療が将来開発できたらいいとわたしは考えています。

■晩期合併症の解決なくして「完全な治癒にはつながらない」

 昔は1−2割しか治らないものを半分、半分しか治らないものを8割治せるようにしたいというのが、小児がんの治療をやっている医師の一番の課題でした。一人でも治る人を増やしたいという一心だったので、大人に比べたらはるかに強い治療を小児の患者に行ったら何が起きるかという結果にまで目を向ける余裕はなかったのです。
 でも今、小児科医の中では、この問題を解決しなければ本当の意味での「完全な治癒」にはつながらないと考えています。
 この問題を真正面から取り上げ、晩期合併症の症状を少なく軽くする、または予防する方法を見つけ出すのが、小児がん経験者とこれからの患者に対するわれわれの務めだと認識しています。

2010年06月01日 キャリアブレイン )

| 小児がんが治った体験談 | |
僕たちのがん体験、闘病中の君に届け 無料誌発行で応援

小児がんへの理解を訴えるイベント会場でフリーペーパーを配る松井基浩さん=東京・日比谷公園

 がんを患ったことのある若者たちが、がんと闘う子どもらを支えたいと支援団体をつくり、自らの体験談などを載せたフリーペーパーを発行した。「全国のがん拠点病院や小児医療センターに置いてもらいたい」と話している。

 団体は、30歳未満のがん患者の支援を目的とした「STAND UP!!」。昨年夏に結成され、がんの闘病体験を持つ高校生から31歳までの27人が集まった。

 代表は浜松医科大6年の松井基浩さん(23)。神奈川県鎌倉市に住んでいた高校1年の時、悪性リンパ腫と診断された。国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院の小児科に8カ月入院し、さらに1年半の通院生活を送った。いまも年3回、経過観察を受けている。

 入院当初は「なぜ自分が」と落ち込んだが、年下の子どもたちが抗がん剤の副作用に不平も言わず、病気と向き合っている姿
に励まされた。「医師になりたい」と思うようになった。退院後、入院している仲間を思い、勉強した。高校3年の12月まで2週間に1回の通院が続いたが、医科大に現役で合格。将来は小児がんの専門医になるつもりだ。

 医療の世界をめざす仲間たちも多い。骨肉腫で右足を切断した男子大学生は臨床検査技師を目指し、骨盤の肉腫だった男子大学生は、小児患者を精神的にサポートする専門職を目標にしている。

 「自分たちの体験を、闘病中の子どもや若い患者に役立てられないだろうか」。松井さんが中心となってメンバーを募り、手始めにフリーペーパーを作ることにした。

 製薬会社などに資金協力を求めた。父親をがんで亡くしたグラフィックデザイナーが無料で誌面のデザインを引き受けてくれた。

 B5判32ページ。初回は2万5千部で、幼い時にがんを経験したシンガー・ソングライターのインタビューやメンバー10人の体験談、患者50人に「復学して一番困ったこと」などを尋ねたアンケート、闘病を支えてくれた贈り物の紹介などを載せた。

 松井さんは「子どもや20代の患者は就学や就職、結婚など退院後の生活への不安が大きい。フリーペーパーで少しでも勇気づけられたらうれしい」と語る。年1度の発行をめざしている。問い合わせは、「STAND UP!!」(cancer.survivers.have.dreams@gmail.com)へ。(稲石俊章)

2010年5月6日 朝日新聞

| 小児がんが治った体験談 | |
より子さん、病院で熱唱 小児がん克服し活動続ける歌手

 小児がんで2歳から5歳まで入院生活を送り、22歳の時にがんの再手術を受けたシンガー・ソングライター、より子さん(25)のピアノコンサートが17日、飯田市の飯田病院で開かれた。同病院が2001年から開いているロビーコンサートの95回目。透明感のある歌声に、車いすの患者や付き添いの看護師、医師ら約200人が聞き入った。

 より子さんは、闘病生活などを基に作詞作曲した「ほんとはね。」など計6曲を歌った。最後に取り上げた自作曲「HomeParty(ホームパーティー)」には手拍子が広がり、より子さんのピアノ伴奏に合わせて観客が「ラララ…」と合唱する場面もあった。

 コンサートを終えたより子さんは「小児がんを克服して、今、わたしは生かされて歌っている。自分の歌で少しでも患者さんの心を癒やせればうれしい」。同病院事務局長の矢沢昭彦さん(68)は「患者さんは生きる力をもらったのではないか」と話していた。

2010年4月18日 信濃毎日新聞

| 小児がんが治った体験談 | |
がん克服、大会で3キロ完走 相生の10歳男児 

 毎年全国で30〜40人の子どもが発症するという肝臓がんの一種、肝芽腫を克服した相生市立青葉台小5年の川口祐典君(10)=同市若狭町=が11日、芦屋市で行われた「ユニセフカップ2010芦屋国際ファンラン」で3キロを完走した。川口君は「ゴールできてよかった。これからもマラソンやサッカーを頑張りたい」と話している。

 川口君は、4歳だった2004年3月にがんと判明。母の吉代さん(35)から生体肝移植を受けたが、翌年左肺に転移が見つかった。「再発は生存率ゼロ」といわれたが、大量の抗がん剤投与などで克服。現在は、サッカークラブなどで活動している。

 大会には吉代さんや、腎臓がんを克服し、「命」をテーマにした情報誌の編集長を務める杉浦貴之さん(38)=愛知県岡崎市=らとともに出場。川口君は数年前から杉浦さんを慕い、一緒に走る約束をしていた。

 この日は川口君が先にゴールし、「約束を果たせた。祐典君の姿は多くのがん患者に希望を与えるだろう」と杉浦さん。吉代さんは「治療を終え、もうすぐ5年。本当に元気になった」と喜んでいた。

2010年4月13日 神戸新聞

| 小児がんが治った体験談 | |
がん克服、駆ける10歳 相生の男児が大会出場へ 

 100万人に1人という肝臓がんの一種、肝芽腫を発症し、一時は「余命1年」と宣告された相生市立青葉台小5年川口祐典君(10)=同市=が11日、芦屋市で開かれる「ユニセフカップ2010芦屋国際ファンラン」に出場する。「僕も病気を治した。いつか一緒に走ろう」。小児がんと闘う子らへのメッセージを込めて走る。

 発症が分かったのは2004年3月。まだ4歳だった。抗がん剤は効き目がなく、医師は「このままなら1年もたない」と告げた。同年10月、母吉代さん(35)から肝臓を移植した。

 「肝移植後、再発したら生存率はゼロ」と宣告されたが、翌年、左肺にがんが見つかった。しかし、川口君は大量の抗がん剤投与に伴う激しい倦怠感や痛みにくじけず、4カ月後に退院した。

 現在は地元のサッカークラブや太鼓サークルで活躍。病院には年に1度検査入院するだけという奇跡的な回復をみせた。

 今回の出場は、がんを克服し、コンサートやマラソンを続ける情報誌編集長杉浦貴之さん(38)=愛知県岡崎市=との約束だ。数年前から交流があり、あこがれの存在。その杉浦さんから「一緒に走ろう」と誘われ、母子での参加を決めた。

 「元気に走り、少しでも多くの人を勇気付けたい」と川口君。練習を重ね、ファミリーの部(3キロ)での完走を目指す。

2010年4月12日 神戸新聞

| 小児がんが治った体験談 | |
 ■2歳で卵巣がんと闘う 生への実感、歌に乗せ

 シンガーソングライターのより子さんは2歳で卵巣がんのため右卵巣を全摘出し、幼児期の3年間を病院で過ごした。小児がん克服後も21歳のころ、卵巣腫瘍(しゅよう)を患い、左の卵巣にメスを入れた。2度の病を乗り越えた今、「家族のきずな、仕事や生きるありがたみ…それを教えてくれたのは病気」と話す。そんな生への実感を歌に乗せ、聴く人に届ける。(文・津川綾子)

 卵巣がんが見つかったのは、おむつ姿の2歳のとき。膨れあがったおなかで激痛に泣き叫ぶ私を、夜間救急に運んだと聞きましたが、痛みを覚えていない。記憶にあるのは手術室にあったぬいぐるみと、麻酔が痛くてわーっと泣いたこと。手術が終わるとベッドの隣でトマトをむいていた母の姿です。

 入院での抗がん剤治療は3年間。薬のオレンジ色を見ただけで吐くほど気持ち悪かったけれど、物心ついたときから3度の食事みたいに生活の一部。「なぜ」なんて思うこともなく、耐えました。

 がんの病魔はすごい。椅子(いす)に座ってるだけで体力を消耗しました。会話できないほど調子が悪いときもある。私もだったし、ほかの子がそうでも黙ってそっとしておく。病名も知らない子供だけれど、小児病棟の仲間とは独特の通じ合うものがありました。トランプやゲーム、お絵書きをして遊んだり、専門用語が飛び交うお医者さんごっこは今思えばシュール(笑)。入院生活は楽しく、2歳から5歳の間は病院が「わが家」。そんな生活が当たり前でした。

 私が「がん」だったと知ったのは小学5年生の春。母から「病院で一緒に遊んだ友達はみんな亡くなった」とも告げられました。ショックでした。「なぜ、私だけ生きている?」って考えて…。たどりついたのが、私は何かを人に伝えなきゃいけない、だから生き残ったんだって、結論。

 音楽への道は不思議なほどすんなり開けました。中学生のとき、パソコンで本格的に曲作りを始めると、同じ趣味のクラスメートと仲良くなりました。全然テレビを見ないから知らなかったけれど、それがアイドルグループ「モーニング娘。」の元メンバー(福田明日香さん)で。彼女から私の話を聞いた事務所の方にスカウトされました。

 音楽活動を始めてしばらくは「病気の子」っていうイメージではなく、「アーティスト」として自分を見てほしくて、持て余していたものを、やりたいように表現するだけでした。

 それが平成18年、「あれ?」と思うほどおなかが張って。「メタボ?」かと運動したけど違う。体調も悪く病院に行くと、診断は「卵巣腫瘍」。医師には「99%、がん」と言われましたが、あの「まっすぐ立っていられない辛(つら)さ」じゃない。おなかに3キロ近い水がたまっていたものの、腫瘍は良性でした。

 手術後、ホルモンバランスが崩れ、鬱(うつ)状態で涙が出て辛かったけれど、「何も悲しくないのに人の体ってすごい」と割り切りました。ちょうど母も更年期障害で、2人で「顔がほてるね」って(笑)。

 この手術を機に、私は生まれ変わりました。自己表現でしかなかった音楽活動を、これからは人のために生かしたい。チャリティー活動で生きざまを見せるのも、私がやるべきことだと。病気で針を刺されたり身を切られるのは痛い。けれど、病気が伝えるメッセージを受け取ると、生きているありがたみや、仕事のありがたみが分かるんです。今の私があるのはあの「すばらしい経験」があったから。


【プロフィル】より子

 よりこ 昭和59年、栃木県生まれ。シンガーソングライター。16歳から音楽活動を始め、自主制作アルバムに収録した楽曲「ほんとはね。」が注目を浴びる。平成17年、アルバム「Cocoon」でメジャーデビュー。今年発売のアルバム「記憶」の売り上げの一部は小児がん患者の支援活動をするNPOに寄付される。今月20日「TOKYO FMホール」でライブを開く。


2009年12月11日 産経新聞

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院内ライブ、患者励ます

小児がん経験、歌手のより子さん◆

 小児がんを患った経験を持つ歌手のより子さん(25)が10日夜、出雲市塩冶町の島根大学付属病院の1階ホールで院内ライブを開いた。愛(いと)しい人への思いをつづったオリジナルの「星に願いを」など計7曲を披露し、車いす姿の入院患者や医師ら約150人が、ピアノの弾き語りにじっと聴き入った。

 患者たちを励まそうと同大医学部が企画した。より子さんは小児がんのため、2歳から5歳まで入院生活を送った。当時、祖父が誕生日プレゼントに買ってくれたおもちゃのキーボードを手に、歌に親しんだという。

 05年にメジャーデビューを果たしたが翌年、卵巣腫瘍(しゅよう)で手術を受け、全国ツアーも中止した。曲の合間にはこうした経緯に触れ、「病気で家族や友人、多くの人に支えられているんだと分かった。そのとき人のために歌っていこうと思った」と、患者らに語りかけた。(高橋健次郎)

2009年11月12日 朝日新聞

| 小児がんが治った体験談 | |
小児癌(がん)生存者の多くが健康な赤ちゃんを出産

 小児癌(がん)を克服した男女の多くは、正常な妊娠を維持し、健康な赤ちゃんをもうけていることが米国の研究で判明した。「小児癌の生存者が増えていることから、さまざまな治療による影響を明らかにすることが重要となっている」と著者らは述べている。

 医学誌「Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine(小児&思春期医学)」10月号に掲載された第1の研究では、米フレッド・ハッチンソンFred Hutchinson 癌研究センター(シアトル)のBeth A. Muell博士らが、20歳未満で癌と診断された女性の出産した子ども1,898人と、小児癌のなかった女性の子ども1万4,278人とを比較。小児癌生存者の子どもには、先天性欠損や死産のリスク増大はみられなかったが、早産リスクが54%高く、出生時の体重が2,500g未満である比率が31%高かった。在胎期間に対して低体重であるリスクの増大はなかった。

 および治療の種類別にみると、早産リスクは白血病で特に高く、リンパ腫、骨腫瘍、軟部組織肉腫および腹部原発の癌との間にも関連がみられた。化学療法により早産リスクが倍増したが、その他の治療でも有意なリスク増大が認められた。妊娠中の子癇(しかん)前症および貧血については対照群の間に大きな差はみられなかったが、骨腫瘍では糖尿病、脳腫瘍および化学療法を受けた患者では貧血が多かったほか、化学療法、外科手術および放射線療法を併用した患者では子癇前症リスクが高かった。

 同じ号に掲載された第2の研究では、同センターのEric J. Chow博士らが、癌を克服した男性の子ども470人について検討した結果、特に父親が低年齢で癌になった場合や化学療法を受けた場合、出生体重が 2,500g未満の「ボーダーラインリスク」(注:未熟児と定義される)が高いことがわかった。しかし、未熟児、妊娠期間に対して低体重、先天性異常のリスク増加はみられず、子どもの男女比にも変化はなかった。女性パートナーには、子どもの父親が特定の小児癌(特に脳腫瘍)であった場合、子癇前症リスクの増大が認められた。

 医学誌「Cancer Epidemiology, Biomarkers & Prevention(癌疫学、バイオマーカー&予防)」10月号に掲載された別の研究では、小児癌を克服した人は兄弟姉妹や一般集団に比べて独身でいる比率が20〜25%高いことが明らかになった。米エール大学医学部(コネティカット州)助教授のNina S. Kadan-Lottick博士らは、米国の26施設で小児癌治療を受けた成人1万人のデータを分析。その結果、約42%が結婚を維持、7.3%が別居または離婚しており、46%は一度も結婚していなかった。「原因は特定の治療によって生じる低身長、身体機能の低下および認知障害であるとされ、小児癌克服者には成人後も継続したサポートが必要であることが示唆される」とKadan-Lottick氏は述べている。

2009年10月6日、10月8日 HealthDay News

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小児がんの子供、雨の中登山挑戦

 小児がんと闘う子供たちが2日、富士登山に挑んだ。「小児がんの子供たちとそのきょうだい、富士山にアタック」(財団法人がんの子供を守る会、毎日新聞社主催、あいおい損害保険、財団法人東京メソニック協会協賛)のメーンイベントで、今年で9回目。山梨県側の吉田口登山道では風雨が強い悪天候の中、子供たちが一歩一歩踏みしめて富士山を登った。

 参加したのは小児がんの子供4人と医師やボランティアスタッフら32人。山頂に挑むグループと、7〜8合目を目指すグループに分かれ、5合目を出発した。次第に風雨が強くなり、山頂コースは8合目まで、7〜8合目コースは6合目まで到着したところで、登山を断念した。

 埼玉県所沢市、小学6年、横川達也君(12)は「残念です。でも雨の富士山もおもしろかった」と笑顔で語った。

2009年8月3日 毎日新聞

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