がん緩和ケアの正しい知識の普及啓発を
日本緩和医療学会(江口研二理事長)は10月10日、
がんの緩和ケアの正しい知識を普及・啓発するためのシンポジウム「
がんの痛みやつらさを一人で抱えていませんか」を開いた。厚生労働省が2007年に同学会に委託した緩和ケア普及啓発事業(オレンジバルーンプロジェクト)の一環で、この日は、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏や、患者家族、医師、看護師、心理療法士などがそれぞれの立場から広い視野で、緩和ケアについての講演を行った。会場には、医師や看護師、がん患者など約900人が集まった。
会の冒頭にあいさつに立った江口理事長は、終末期だけでなく、診断時から始まる患者や家族の心理的負担などを含め、日常生活の障害にならないよう医療者などが協力して症状の緩和に努力することが緩和ケアだと説明。「早期からの緩和ケアが一体どういうものかということを、(講演を通じて)十分に身に付けてもらえればと思う」と参加者に訴えた。
続いて鳥越氏が、自らの直腸がんを発見するまでの経緯やその後の治療について講演。緩和ケアについては、「
末期のがん、余命を宣告された人たちが静かに最期を迎えるための場所、もしくはそういう治療のやり方を緩和ケアと呼ぶ誤解がある」と指摘。「緩和ケア病棟で痛みを取り、在宅で治療するのが本当の意味での緩和ケアだ」と強調した。
さらに、患者家族、医師、看護師、心理療法士が、それぞれの立場から講演。まずNPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」の篠田伸夫副理事長が、3年前に肺がんが進行し亡くなった夫人との治療生活を語った。篠田氏は、夫人が緩和ケア病棟で過ごしたことについて、「あらためて本当によかったと思う」と述べ、その理由として「妻の人間としての尊厳が保たれ、優しさに包まれた最期を迎えられたからだ」と説明した。
また、自身の看護体験から、緩和ケア病棟は「患者のためだけにあるのではない。看護する家族のためにもあるのだと悟った」と語った。
看護師の立場からは、湘南中央病院緩和ケア病棟の湯山邦子課長が登壇。緩和ケア外来ではまず、「がんを積極的に治す治療から、症状の緩和や日常生活のサポートによって生活の質を維持する治療へ変更する、ということを説明している」と紹介した。
また現状では、緩和ケア導入・移行に関して患者は、「死をより身近に感じ、恐れと先の見えない不安をおぼえる。そのことが、導入・移行へのハードルを上げている」との見方を示した。その上で、ハードルを少しでも下げるため、早急に入院を必要とする待機患者がおらずベッドに空きがある場合など、一定の条件を満たすときに実施している「体験入院」について紹介した。
姫路聖マリア病院ホスピス・緩和ケア科の田村亮部長は、医師の立場から講演した。まず、2007年に閣議決定した「がん対策推進基本計画」にのっとって進められている、
がん診療に携わる医師全員に対する緩和ケア研修について説明。初期段階のがんなら、「研修を受講した医師であれば、身体的・精神的な苦痛の緩和は可能」と述べた。
一方、病状が進行し抗がん剤の効きが悪くなったり、再発したりすると、さまざまな問題を抱えてくると指摘。身体的苦痛と比較し、社会的・精神的苦痛、スピリチュアルぺインの比重が大きくなり、症状緩和が難しくなるとし、緩和ケアチームやホスピス・緩和ケア病棟、在宅のホスピス専門チームなどによるより高度な緩和ケアの提供が必要になるとの考えを示した。
また田村氏は、安心して在宅に移れるように実施する「退院前カンファレンス」や、自宅で看護する家族の負担を軽くするため1−2週間入院してもらう「レスパイトケア」など、緩和ケア病棟での多様なケアを説明した。
静岡県立静岡がんセンター緩和医療科心理療法士の栗原幸江氏は、心がつらいときは痛みを強く感じることなどを挙げ、心と体を共に楽にすることの大切さなどを訴えた。
最後に講演した金城学院学院長・大学長で淀川キリスト教病院名誉ホスピス長の柏木哲夫氏は、「治療してもうまくいかない病気の場合、日本の病院は本当に大切な症状の緩和などをあまりしないで、とにかく延命するという歩みを、少なくともここ20年ぐらい前まではやってきた」と指摘。これに待ったをかけたのが「『ホスピスケア』『緩和ケア』という考え方だと思う」と述べた。
その上で、進行がんや末期がんの患者に対し「治癒(CURE)に導くことは出来ないが、症状を緩和してしっかりと精神的に支え、その人らしい人生を全うされるのを援助するケア(CARE)は最後まで提供できる」と強調した。
2009年10月13日 キャリアブレイン