RECOMMEND
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
OTHERS
 
癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報
がん克服の都啓一 妻・久宝留理子とTV共演

がん克服後、初のテレビ出演をした「SOPHIA」の都啓一と妻で歌手の久宝留理子

 血液のがんろ胞性悪性リンパ腫」を克服したロックバンド「SOPHIA」のキーボード奏者、都啓一(39)が闘病後初めてテレビ番組に出演する。27日放送のテレビ東京「歌の楽園」(日曜後5・30)で、闘病を支えた妻で歌手の久宝留理子(41)と結婚10年で初のテレビ共演。都は「病気で苦しむ人と家族が、僕らの活動で少しでも元気になってほしい」と話している。

 都内のスタジオでの収録。久宝が93年のヒット曲「男」を歌った。

 長女(8)と長男(5)の子育てに専念していたこともあり、音楽番組での歌唱は約10年ぶり。その横でキーボードを叩く都。闘病生活を支えてくれた妻の歌声に指先にも力がこもり、目が合うと軽くうなずき合った。お互いを思いやる気持ちがにじんだ。

 都は「同じような病気で苦しんでいる人とその家族が、僕たちが一緒にテレビに出ることで元気になってくれたらという気持ちです。今は一つ一つがうれしい。テレビ局にまた来られたということ自体、本当にうれしい」とほほ笑んだ。顔色も良く、抗がん剤治療で抜けた髪もすっかり生えそろっていた。

 がんが見つかったのは昨年2月。気になっていた左足の付け根のしこりを検査したところ、末期といわれる「ステージ4」と診断された。

 久宝とは01年に結婚。妻子3人の顔が浮かび「治りますか?」と必死に医師に問いかけたという。抗がん剤の副作用で頭痛や吐き気に苦しむ闘病を経て、昨年11月にがん細胞が検出されない状態となり「克服」を発表した。

2011年2月8日 スポニチ


| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
技術職の不安、入院中もネットから情報

悪性リンパ腫(2) 飯泉悟さん(38)

 悪性リンパ腫には多くの種類があり、私のタイプは「ホジキンリンパ腫」ということでした。がんは進行していて進行度合いはIV期と判断されたため、悪性リンパ腫の標準治療より強めの「増量BEACOPP療法」という治療法を選択することになりました。固形のがんではないため、経口薬と点滴の化学療法による治療です。

 治療は3週間を1クールとして進みました。まず経口薬は2種類を1週間、うち1種類はもう1週間服薬します。これに加え点滴は3種類を初日に、うち2種類を3日目まで継続、さらに別の2種類を8日目に点滴します。そして3週目は休薬して体力の回復を図る、というパターンでした。

 悪性リンパ腫は他のがんに比べて治療成績が良く、IV期でも寛解が見込めるというお話を主治医からいただき、安心して治療を受けられました。ただその期間は長く、当初6〜8クール(約半年間)続けると言われていました。

 抗がん剤による吐き気や貧血等には少し悩まされたこともありましたが、他の患者さんが感じているような耐え難い吐き気など大きな副作用はほとんどなく、治療は順調に進みました。病室にパソコンを持ち込み、PHSに接続していました。ネット経由ではありますが、家族や友人とコミュニケーションを取れたことが精神的にも支えとなっていました。また、休薬期間も調子が良ければ自宅に帰ることができ、リフレッシュして次の治療に向き合えたのも大きかったです。

抗がん剤の影響で抜け落ちた髪の毛を隠すバンダナ

 私の仕事は携帯電話の技術を扱う仕事で、日々進化する携帯電話の技術は普段からニュースを読んだり勉強したりして常に最新の情報を得ておくことが必要です。しかし、仕事から離れることで後れをとってしまうことが心配でした。長期入院で休職となり、社内で得られる情報からも離れてしまうのも気がかりでした。

 幸い副作用が軽く、持ち込んだパソコンで技術情報やニュースなどをチェックしていました。ネット上の公開情報だけでも得ておいて、復帰時に少しでも早く遅れを取り戻せるようにしようと考えたのです。同僚も必要な情報が得られるサイト情報を教えてくれ、これが社会復帰へのモチベーションを維持する助けになりました。

 治療は順調に5クール目まで進み、そこまでである程度腫瘍(しゅよう)は小さくなっていたものの、残念ながら期待されたほどの効果は出ていませんでした。そこで治療方針が変更となり、別の化学療法、および自家末梢(まっしょう)血幹細胞移植を実施することとなりました。

 自家末梢血幹細胞移植は、自分の造血幹細胞を保存した後に大量の抗がん剤でがん細胞を撲滅し、ダメージを受けた自身の造血機能を補うため、保存しておいた造血幹細胞を戻す治療です。強い抗がん剤の影響による免疫力低下や副作用も予想されましたが、治療は先生も驚くほど順調で、2007年6月に無事治療を終え退院しました。しかし7カ月に及ぶ入院治療で体力や免疫力は衰えていたため、4カ月の自宅療養で体調を整え、復職できたのは10月からでした。

2010年11月28日 日本経済新聞

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
ガン克服の「デクスター」マイケル・C・ホール「39歳まで生きられるか、ずっと考えていた」

  人気サスペンス海外ドラマ「デクスター 警察官は殺人鬼」で主人公デクスター・モーガン役を演じているマイケル・C・ホールが、ガンを告知されたときの心境を赤裸々に語った。

  9月17日のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された特集インタビュー記事で、マイケルは父親が前立腺がんのため39歳の若さで他界したことを明かし、「11 歳のときに父を亡くしてから、39歳という年齢がずっと気になっていた。自分は39歳まで生きられるのか、どんな39歳を迎えるのかってね」と語った。

  昨年末、リンパ組織で細胞がガン化してしまうホジキンリンパ腫だと診断されたとき、マイケルは38歳だった。「ガンと診断されてとても不安な気持ちになったけれど、一方で“へぇ、そうなんだ”って感慨深い気持ちにもなった」と、父親と自身を重ね合わせたことを打ち明けた。

  しかし、辛い闘病生活を乗り越えたマイケルは、化学療法による苦しい副作用が収まってからというもの「これまでになくエネルギッシュになった」そうで、ガンが完全に消失したと伝えられたときは「まるで生き返ったような気分になった」とコメントしている。

  同作のデクスター役や「シックス・フィート・アンダー」で演じた同性愛者の次男役など、抑圧された感情を抱えるキャラクターを演じることが多いことについて、マイケルは「自分も感情を抑圧する傾向にあるからね。似たような雰囲気を持っているから、このような役をオファーされるのだと思う」「気持ちを抑圧してしまうようになったのは、父親の死を上手に受け止めることが出来なかったからなんだよ」と、若くしてこの世を去った父親の影響を今なお受け続けていると語った。

  マイケルは今年2月に父親が亡くなった年齢に追いついたが、現在「デクスター 警察官は殺人鬼」シーズン5の撮影を予定通りにこなしている。(情報提供:TVグルーヴ・ドット・コム)

2010年9月29日 サーチナ

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
がんと闘っている!ラウドルップ氏が告白

 元デンマーク代表FWのブライアン・ラウドルップ氏(41)が、がんと闘っていることを告白した。コメンテーターを務めるTV番組で、血液のがんと呼ばれる「リンパ腫(しゅ)」にかかっていることを公表。「先週、病院で診断された時は強いショックを受けた。幸い、私は楽観的な報告を医師からされている」などと話した。

 同氏は兄ミカエル(現マジョルカ監督)との「ラウドルップ兄弟」として名をはせ、国際Aマッチ82試合21得点を記録。92年に欧州選手権に優勝し、98年のW杯フランス大会でも8強入り。デンマーク年間最優秀選手を4度受賞している。

2010年9月8日 日刊スポーツ

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
二十数個の腫瘍、すべて消え /大阪

 ◇今は新しい命の誕生を心待ちに

 「がん難民をつくらない」。今年6月、東京都中央区の国立がん研究センター(旧国立がんセンター)の宣言を聞いた堺市の松原良昌さん(67)は、心から喜んだ。数が少なく、治療や治療法開発で置き去りにされている「希少がん」患者にとって心強い言葉。しかもそこは、今も検査に通う病院だった。

 松原さんは07年夏、希少がんの一つ「悪性リンパ腫」と地元の病院で宣告された。「5年生存率は30〜40%」と言われ、頭の中が真っ白に。「自分の人生に終わりが来る」ことを嫌というほど思い知らされた。すぐに本やインターネットで自分の病気について調べたが、役立つ情報はほとんどない。分かったのは「標準治療がない」ことぐらいだった。

 「どの病院に行けば自分に合う治療が受けられるのか。がんの種類別に、各病院の得意な治療法や治療実績が分かるガイドブックが必要だ」。松原さんが希少がんの「受診ガイド」の必要性を訴えるのは、当時の体験が元になっている。

 松原さんはいくつかの病院を受診した後、東京近郊で暮らす一人娘(38)の勧め通りに国立がんセンターに飛行機で通い始めた。

 抗がん剤治療はつらく、薬というより毒と呼ぶべきものだった。ふらふらになりながら、関西国際空港−羽田空港間を往復して通院した。治療は納得して受け、08年秋には全身の腫瘍(しゅよう)が見えなくなる「完全寛解」を達成。PET−CT検査で全身に二十数個もあった腫瘍が、全くなくなっていた。

がんとの闘いは「5年生存率30〜40%」で受けたショックでスタートした。今は「がんと共存し、再発を遅らせられたらいい。あと10年ちょっと生きたら、平均寿命に達するな」と考えている。医療は進歩しているから十分可能だ。

患者会の活動も、心に余裕ができて本格化した。自分で経験したように、希少がんは標準治療がないものがあり、薬の開発の遅れはひどい。専門の医師も少ない。この状況が少しでも改善されたらと、国立がんセンターなどに求め続けた。

松原さんは今、1匹の猫を相棒に1人暮らし生活を送る。妻は、初孫の出産を控えた娘の元に飛んでいった。話が孫に及ぶと、「ものすごくうれしい」と声が弾む。

 がんを患って人生の終わりを意識し、新しい命が一層大切に思える。「私が死んでも、血のつながった人間が残る。成長して、社会貢献する大人になってくれたらいいな」。赤ちゃんを抱く日を、心待ちにしている。

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
「デクスター」マイケル・C・ホール、ガン克服宣言

人気サスペンス海外ドラマ「デクスター 警察官は殺人鬼」で主人公デクスター・モーガン役を演じているマイケル・C・ホールの妻が、マイケルは闘病中であったガンを克服し、仕事を再開したことを明らかにした。

マイケルの妻で女優のジェニファー・カーペンターは、米AP通信の取材に対して、ホジキンリンパ腫であると診断され、ロサンゼルスの病院で治療を受けていたマイケルが、完全に回復したと告白。現在、マイケルは映画「East Fifth Bliss」の撮影に入っているとのことで、今秋に放送される「デクスター 警察官は殺人鬼」シーズン5の撮影も予定通り行われる。

ホジキンリンパ腫とは、リンパ組織で細胞がガン化してしまう悪性リンパ腫の一種。現在のマイケルの状態は完全寛解であると見られている。

インタビューで、ジェニファーは、マイケルが1月に病名を公表したことを「とても勇気ある行動だった」だとコメント。マイケルは治療中であるにもかかわらず、1月17日に開催された第67回ゴールデン・グローブ賞授賞式と、1月23日に開催された第16回映画俳優組合賞授賞式に出席。両方でTVドラマ部門最優秀男優賞を受賞し話題を呼んだ。

オフブロードウェイで俳優としてのキャリアをスタートさせたマイケルは、葬儀屋一族が繰り広げるヒューマンドラマ「シックス・フィート・アンダー」で同性愛者の次男役を演じブレイク。「デクスター警察官は殺人鬼」では、マイアミ警察殺人課の血痕分析官でありながら殺人を繰り返す主人公を熱演し、その演技力が高く評価されている。私生活では2008 年に「デクスター」で妹役を演じているジェニファーと再婚。おしどり夫婦として知られている。

2010年4月27日 TVグルーヴ・ドット・コム

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
献身介護する妻・久宝留理子 

SOPHIA都啓一の“がん”とは

 久宝留理子(40)といえば、「男」「早くしてよ」など1990年代にヒット曲を連発したロック歌手だが、夫ががんに襲われ、献身的な介護を続けている。夫は人気ロックバンド、SOPHIAのキーボード、都啓一(38)。血液のがんろ胞性悪性リンパ腫」のため、4月から休養に入ることになった。

 久宝は2001年3月に、この年の元日に都と結婚していたことをホームページで公表。その後、1男1女をもうけ、育児を優先しながら、ライブ活動や音楽プロデューサー業を行ってきた。

 今後は、抗がん剤治療に専念する夫の全面的なサポートにまわる。21日夜、都の所属事務所とレコード会社からマスコミに送られたファクスに、2人連名でコメントを掲載。「必ず治すことを家族共々心に決め、一日も早く音楽活動を復帰出来るよう頑張りたい」とつづっている。

 専門医によると、ろ胞性悪性リンパ腫は、病気の進行が比較的遅く、最近になって有効な治療薬が出てきたという。 

2010年3月23日 Infoseek

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
病院で感謝のピアノ 悪性リンパ腫の元患者・田中さん

入院患者を楽しませる演奏を披露した田中省三さん

 名古屋音楽大教授の田中省三さん(62)=稲沢市西町=らが10日、一宮市民病院11階ホールに入院患者100人を招き、ピアノと女声アンサンブルのコンサートを開いた。悪性リンパ腫の治療で一時入院していた田中さんが、病院への感謝の気持ちを込めて16曲を披露した。

 田中さんのピアノ伴奏に合わせ、地元の音楽仲間の女性3人が童謡「靴が鳴る」を歌い始めると、患者らが口ずさんだ。「病院で音楽を楽しめるなんて。ありがたい」と涙を浮かべる女性(70)も。

 田中さんは一宮市民病院で1月、悪性リンパ腫の第1期と診断された。不安に駆られたが、北村邦朗医師(51)から病状や治療法などの説明をじっくりと聞き、入院して抗がん剤投与を受けた。

 3月に退院した田中さんは「入院中はどうしても気がめいってしまう。明るい音楽でみんなを癒やしたい」とコンサートの開催を提案。病院側も快諾し、この日の演奏につながった。

 約1時間のコンサートを終え、田中さんは「みなさんの笑顔を見ることができて、私も心が晴れました」と充実感をにじませた。 

2009年12月11日 中日新聞

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
Microsoft創設者ポール・アレン氏、がんと診断

ビル・ゲイツ氏とともにMicrosoftを興したポール・アレン氏が、がんの一種である非ホジキンリンパ腫と診断と診断された。

 米Microsoftの創設者の1人ポール・アレン氏が非ホジキンリンパ腫と診断され、治療を開始した。同氏の投資会社の広報担当者が11月16日に明らかにした。

 アレン氏が1986年に設立したVulcanの社員はこの日、社内向けの電子メールで同氏の病気を知らされた。Vulcanは、同氏のビジネスや慈善活動を管理する企業。

 「ポールの具合は良く、今もVulcanなど自分の会社や関心事に活発に取り組んでいる。活動を減らすつもりはない」とVulcanの広報担当デビッド・ポストマン氏は語る。

 ポストマン氏は、アレン氏は最近診断を受け、既に治療を開始したとしている。

 アレン氏はForbes誌の世界長者番付で32位。1975年にビル・ゲイツ氏とともにMicrosoftを興し、1983年に同社を辞めた。アレン氏は同年に非ホジキンリンパ腫と診断されたが、治療に成功した。

 非ホジキンリンパ腫はがんの一種で、免疫をつかさどるリンパ系で生じる病気。ホジキン腫と関連はあるが異なっており、ホジキン腫よりもずっと一般的だ。

 米国立がん研究所によると、2009年の非ホジキンリンパ腫の診断例は約6万6000件で、1万9500人が死亡した。

 アレン氏はVulcanを通じて、故郷のシアトルに投資していることで有名だ。

 同氏はアメリカンフットボールチームのシアトルシーホークスを所有しており、サッカーチームのシアトルサウンダーズにも一部出資している。シアトルに音楽博物館Experience Music Projectを設立し、また同市のレイクユニオン近くの荒廃した地域をバイオテクノロジー研究の中心地に発展させる取り組みを主導している。

 アレン氏はCATV会社Charter Communicationsの会長でもある。

2009年11月18日 ロイター

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |
がん克服いきいき演技 方言劇挑戦 浦崎千秋さん

「恩納なびー」のけいこで喜びの踊りを舞う浦崎千秋さん=23日、豊見城市・とよみの杜

プロ役者交じり奮闘/闘病中の人にエール

 血液のがん、悪性リンパ腫から回復した浦崎千秋さん(31)が、沖縄芝居「恩納なびー」の主要な役に挑戦している。演技経験はないが、4カ月間プロの役者に交じって週2回のけいこを積み、役者で演出を務める平良進さん(74)が「心配なく見ていられる」と褒めるほどに。浦崎さんは「病気で苦しんでいる人にも私の姿を見てもらい、元気になってほしい」と意気込んでいる。(安里努)

 浦崎さんは28歳のときにがんの診断を受けたが、回復し、今年2月のオーディションを受けた。

 「がんから回復した自分のことを表現したかった」と言う浦崎さんを、主役・なびーの親友というせりふが多い役に推したのはプロデューサーの松田武さん(46)。本業が老人施設職員の松田さんは似た境遇の人を励ます存在になると考えた。

 平良さんをはじめ、著名な役者に囲まれ、最初のけいこで声が出なくなった浦崎さん。夫直久さんの「千秋しかできる人はいない」との言葉に背中を押された。

 表現法を学びたいという動機が、自分の姿で見る人を励ましたいという気持ちに変わった。

 説明役以外のせりふはすべて方言。2児の子育てをしながら、車の中で録音を聞いて覚えた。けいこを重ねるほど、肉体的にも精神的にも元気になっていると松田さんは言う。

 平良さんも「芝居をやることが元気につながっているようだ。(自身の役の)尚敬王として褒めてあげたい」と笑った。

 公演は9月20日午後1時と6時、豊見城市中央公民館で。収益の一部は、がん患者支援のNPOキャンサーリボンズ(東京)に贈られる。

2009年08月26日 沖縄タイムス

| 悪性リンパ腫が治った体験談 | |