精巣腫瘍が肺に転移
精巣腫瘍/上
体から底知れぬ恐怖が
普通に生活していたのに……
リサーチ会社に勤める改發(かいはつ)厚さん(37)=四條畷市=が睾丸(こうがん)に異変を感じたのは、04年3月だった。腫れが引かず、腰には鈍い痛みもある。初めは恥ずかしさが勝ったが、微熱や手足のしびれに不安が募り、近くの泌尿器科を受診した。医師から「腫瘍(しゅよう)の疑いあり」と告げられた。「精巣腫瘍」−−インターネットで知った聞き慣れないがんの名前が頭をよぎる。1年半に及ぶ長い闘病生活の始まりだった。
手術の結果、悪性の精巣腫瘍と判明、リンパ節へ転移していた。「治療しなかったらどれくらい生きられる?」。医師に尋ねると、「1年持たないでしょう」と言われた。「ついこの間まで普通に生活してたのに……」。妻と幼い2人の子の顔が浮かんだ。
闘病を機に、以前から立ち上げていたホームページに日記を付けることにした。最初は「他の患者さんへの情報提供になれば」と軽い気持ちだったが、病状が進むうち、その目的は「生きた意味合いを残すこと」に変わった。誰にもぶつけられない不安やつらさ、弱音を思い切り吐き出した。
5月末、BEP療法と呼ばれる抗がん剤治療が始まった。吐き気止めの点滴の後、胸の血管にカテーテルを入れ、半日かけて投与する。連日、「胃の中でマグマがぶくぶく噴き出すような感覚」にさいなまれた。30分ごとに吐き気をもよおす。においに敏感になり、食事の時間を告げるチャイムや配膳(はいぜん)のゴンドラの音にも反応した。夜も寝られない。
5カ月の治療を終え、小さくなった腫瘍を摘出した。病理検査の結果、がん細胞は生きていた。新たに肺への転移も見つかった。胸の写真に写った白い影が不気味に浮かび上がって見える。「やっぱり、死ぬのか」。体の奥から、底知れない恐怖がわき上がってくるのを感じた。
大学病院へ転院し、致死量に近い抗がん剤で徹底的にがん細胞をたたきつぶす「超大量化学療法」を受けることになった。【林由紀子】
体から底知れぬ恐怖が
普通に生活していたのに……
リサーチ会社に勤める改發(かいはつ)厚さん(37)=四條畷市=が睾丸(こうがん)に異変を感じたのは、04年3月だった。腫れが引かず、腰には鈍い痛みもある。初めは恥ずかしさが勝ったが、微熱や手足のしびれに不安が募り、近くの泌尿器科を受診した。医師から「腫瘍(しゅよう)の疑いあり」と告げられた。「精巣腫瘍」−−インターネットで知った聞き慣れないがんの名前が頭をよぎる。1年半に及ぶ長い闘病生活の始まりだった。
手術の結果、悪性の精巣腫瘍と判明、リンパ節へ転移していた。「治療しなかったらどれくらい生きられる?」。医師に尋ねると、「1年持たないでしょう」と言われた。「ついこの間まで普通に生活してたのに……」。妻と幼い2人の子の顔が浮かんだ。
闘病を機に、以前から立ち上げていたホームページに日記を付けることにした。最初は「他の患者さんへの情報提供になれば」と軽い気持ちだったが、病状が進むうち、その目的は「生きた意味合いを残すこと」に変わった。誰にもぶつけられない不安やつらさ、弱音を思い切り吐き出した。
5月末、BEP療法と呼ばれる抗がん剤治療が始まった。吐き気止めの点滴の後、胸の血管にカテーテルを入れ、半日かけて投与する。連日、「胃の中でマグマがぶくぶく噴き出すような感覚」にさいなまれた。30分ごとに吐き気をもよおす。においに敏感になり、食事の時間を告げるチャイムや配膳(はいぜん)のゴンドラの音にも反応した。夜も寝られない。
5カ月の治療を終え、小さくなった腫瘍を摘出した。病理検査の結果、がん細胞は生きていた。新たに肺への転移も見つかった。胸の写真に写った白い影が不気味に浮かび上がって見える。「やっぱり、死ぬのか」。体の奥から、底知れない恐怖がわき上がってくるのを感じた。
大学病院へ転院し、致死量に近い抗がん剤で徹底的にがん細胞をたたきつぶす「超大量化学療法」を受けることになった。【林由紀子】
睾丸のがん、精巣腫瘍は約10万人に1人の割合で発症。多くが20〜40代で、進行が速いのが特徴。手術の他、化学療法(抗がん剤)や放射線療法を組み合わせた治療で完治する可能性が高いが、改發さんのように標準的な治療で完治しない難治性の場合、より効果的な治療法が模索されている。
| 睾丸がんが治った体験談 | |