4カ所に病巣抱える現役美容師
がんを生きる:4カ所に病巣抱える現役美容師 大好きな仕事、最期まで
鎮痛剤使い、笑顔で「お客さまの喜びが力に」
大好きな仕事場で、最期まで働きたい−−。山形県遊佐町の美容師、佐藤由美さん(47)の願いであり、決意でもある。体の4カ所にがんを抱えながら、経営する美容サロンで客と接し、命を紡いでいる。治る見込みはない。仕事への愛着、なじみ客やがん患者、小学生との温かなふれあい……。その壮絶な闘病とは裏腹に、佐藤さんの人生はより輝きを増している。【川久保美紀】
晩秋の午後、美容サロン「ヘアメークDEAR」に予約客が入ってきた。佐藤さんが自宅の車庫を改装し02年に開いたサロンだ。
「頭頂部が硬くなってますね。目や肩も疲れているみたい」。カットする前に頭皮をマッサージしながら、約30分かけてていねいにシャンプーする。12畳ほどの店内には、花や小物がセンス良く飾られ、アットホームな雰囲気が漂う。談笑しながら、きびきび動くその姿からは、病はみじんも感じられない。
「美容師は、七五三、成人式、結婚と、成長を家族のように見守ることができる。人生の節目に寄り添えるステキな仕事です」
遊佐町で生まれ育ち、高校卒業とともに美容師を志して上京した。東京やニューヨークの店で勤め、家族の介護のため帰郷した。
両親と祖母が他界してからは、妹、めいの3人で暮らすため働いた。一家の大黒柱だった。念願のサロンを開いたのは40歳のときだ。
2年後の04年、蓄のう症の治療で鼻のわきに腫瘍(しゅよう)が見つかる。
「腺様のう胞がん」。腫瘍は目のふちまで広がっていた。突然、重い現実を目の前に突きつけられる。独身の佐藤さんは1人で医師から告知を受け、病と闘おうと決意した。
20回の放射線治療で口内は焼けただれた。あまりの痛みに水も飲めず、眠ることもできない。抗がん剤治療、腫瘍摘出手術−−。入院生活は長くつらかった。やがて思い立つ。
「ベッドでじっとしているよりも美容師としてできることをしたい」。店から持ち込んだシャンプー剤で、同室の患者の髪を洗うようになった。「シャンプーは汚れを取り除くだけではなく、心を癒やしてくれる。頭に触れる手に心がこもっていると相手に心地よさとして伝わる」。患者は喜び、闘病で沈んだ表情が晴れやかになっていくのを感じた。
患者だけではない。「シャンプーの大切さを理解してほしい」と自分から申し出て、医師や看護師たちの髪も洗った。「気軽に髪を洗って、リフレッシュできる場が院内にあれば。毎日のことだからこそ、ケアの一環として取り入れてほしい」。主治医は「患者のサービス向上に努める」と理解を示してくれた。
退院後、すぐにサロンを再開する。だが、06年に目に再発し、翌年には頸椎(けいつい)と肺にも転移が見つかった。治療法は、もはやなくなった。
現在は痛み止めを使った緩和ケアを受けながら、1日5人程度の予約客と接している。定休日には、その週に来店してくれた客全員に感謝のはがきを送る。
同じように病を抱える人、悩みを持つ人たちも相談に訪れ、県外から車で1時間以上かけて来る客もいる。
開店当初からの客である友人の高橋千鶴子さん(47)は「由美さんはとても聞き上手。いつも相談にのってもらい、元気をもらっています」と話す。「どんなに体調が悪くても決してそれを見せず、客のことを第一に考えてこまやかな心遣いをしてくれます。前向きで輝いている由美さんを見ていると、また店に来たくなるんです」
最近、目の具合が悪くなり、眼帯をしてサロンに立つ。
「お客さまから『来てよかった』と言ってもらえるとがんばろうと力がわく。癒やされ、元気をもらっているのはむしろ私」
今年9月、庄内町立余目第二小学校の3年生の命の授業に招かれ、仕事と病について語った。担任の佐藤修太郎教諭(29)は「子どもたちは、笑顔で生きることの大切さを学び、勇気をもらったようです」と話す。児童たちからお礼の手紙が届き、佐藤さんは一人一人に返事を書いた。交流はいまも続く。
死の恐怖に襲われる時もある。「もう限界だろう」。そんな医師の目に「負けたくない」と思う。「薬には頼りたくないし、病気を言い訳にしたくない。生きるために何をすべきか考えたい」
サロンは体調で営業時間が変わるため、新規の客は受けず、なじみ客と接している。その出会い、つながりに支えられている。
「お客さまの喜ぶ顔が私に生きる力を与えてくれる。お客さまに接し、大好きな仕事を続けていることが何よりの薬です」
佐藤さんはその歩みを振り返り、手記「余命ゼロを生きる」(WAVE出版、1470円)を出版した。がんを告知された衝撃、闘病中の不安や葛藤(かっとう)、仕事への思いなどをつづっている。
2009年12月25日 毎日新聞
鎮痛剤使い、笑顔で「お客さまの喜びが力に」
大好きな仕事場で、最期まで働きたい−−。山形県遊佐町の美容師、佐藤由美さん(47)の願いであり、決意でもある。体の4カ所にがんを抱えながら、経営する美容サロンで客と接し、命を紡いでいる。治る見込みはない。仕事への愛着、なじみ客やがん患者、小学生との温かなふれあい……。その壮絶な闘病とは裏腹に、佐藤さんの人生はより輝きを増している。【川久保美紀】
晩秋の午後、美容サロン「ヘアメークDEAR」に予約客が入ってきた。佐藤さんが自宅の車庫を改装し02年に開いたサロンだ。
「頭頂部が硬くなってますね。目や肩も疲れているみたい」。カットする前に頭皮をマッサージしながら、約30分かけてていねいにシャンプーする。12畳ほどの店内には、花や小物がセンス良く飾られ、アットホームな雰囲気が漂う。談笑しながら、きびきび動くその姿からは、病はみじんも感じられない。
「美容師は、七五三、成人式、結婚と、成長を家族のように見守ることができる。人生の節目に寄り添えるステキな仕事です」
遊佐町で生まれ育ち、高校卒業とともに美容師を志して上京した。東京やニューヨークの店で勤め、家族の介護のため帰郷した。
両親と祖母が他界してからは、妹、めいの3人で暮らすため働いた。一家の大黒柱だった。念願のサロンを開いたのは40歳のときだ。
2年後の04年、蓄のう症の治療で鼻のわきに腫瘍(しゅよう)が見つかる。
「腺様のう胞がん」。腫瘍は目のふちまで広がっていた。突然、重い現実を目の前に突きつけられる。独身の佐藤さんは1人で医師から告知を受け、病と闘おうと決意した。
20回の放射線治療で口内は焼けただれた。あまりの痛みに水も飲めず、眠ることもできない。抗がん剤治療、腫瘍摘出手術−−。入院生活は長くつらかった。やがて思い立つ。
「ベッドでじっとしているよりも美容師としてできることをしたい」。店から持ち込んだシャンプー剤で、同室の患者の髪を洗うようになった。「シャンプーは汚れを取り除くだけではなく、心を癒やしてくれる。頭に触れる手に心がこもっていると相手に心地よさとして伝わる」。患者は喜び、闘病で沈んだ表情が晴れやかになっていくのを感じた。
患者だけではない。「シャンプーの大切さを理解してほしい」と自分から申し出て、医師や看護師たちの髪も洗った。「気軽に髪を洗って、リフレッシュできる場が院内にあれば。毎日のことだからこそ、ケアの一環として取り入れてほしい」。主治医は「患者のサービス向上に努める」と理解を示してくれた。
退院後、すぐにサロンを再開する。だが、06年に目に再発し、翌年には頸椎(けいつい)と肺にも転移が見つかった。治療法は、もはやなくなった。
現在は痛み止めを使った緩和ケアを受けながら、1日5人程度の予約客と接している。定休日には、その週に来店してくれた客全員に感謝のはがきを送る。
同じように病を抱える人、悩みを持つ人たちも相談に訪れ、県外から車で1時間以上かけて来る客もいる。
開店当初からの客である友人の高橋千鶴子さん(47)は「由美さんはとても聞き上手。いつも相談にのってもらい、元気をもらっています」と話す。「どんなに体調が悪くても決してそれを見せず、客のことを第一に考えてこまやかな心遣いをしてくれます。前向きで輝いている由美さんを見ていると、また店に来たくなるんです」
最近、目の具合が悪くなり、眼帯をしてサロンに立つ。
「お客さまから『来てよかった』と言ってもらえるとがんばろうと力がわく。癒やされ、元気をもらっているのはむしろ私」
今年9月、庄内町立余目第二小学校の3年生の命の授業に招かれ、仕事と病について語った。担任の佐藤修太郎教諭(29)は「子どもたちは、笑顔で生きることの大切さを学び、勇気をもらったようです」と話す。児童たちからお礼の手紙が届き、佐藤さんは一人一人に返事を書いた。交流はいまも続く。
死の恐怖に襲われる時もある。「もう限界だろう」。そんな医師の目に「負けたくない」と思う。「薬には頼りたくないし、病気を言い訳にしたくない。生きるために何をすべきか考えたい」
サロンは体調で営業時間が変わるため、新規の客は受けず、なじみ客と接している。その出会い、つながりに支えられている。
「お客さまの喜ぶ顔が私に生きる力を与えてくれる。お客さまに接し、大好きな仕事を続けていることが何よりの薬です」
佐藤さんはその歩みを振り返り、手記「余命ゼロを生きる」(WAVE出版、1470円)を出版した。がんを告知された衝撃、闘病中の不安や葛藤(かっとう)、仕事への思いなどをつづっている。
2009年12月25日 毎日新聞
| 皮膚がんが治った体験談 | |