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癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報
 

シスメックス、大腸がん向けリンパ節転移検査試薬の製造販売承認を取得

シスメックスは、大腸がんへのリンパ節転移診断に用いる検査試薬の製造販売承認を厚生労働省から取得 した。

専用の自動分析検査装置と組み合わせることで、肺がん胃がんと並んで発症率の高い大腸がん検査精度向上や時間短縮ができるという。同社は 2008年に乳がんのリンパ節転移検査用に同試薬の承認を受けており、今後胃がんなどほかの種類にも活用を目指す。

 大腸がんのリンパ節転移の診断は病理医が手術で摘出された12個以上のリンパ節の切片から病理標本を作製し、顕微鏡でがん細胞の有無を確認している。

 同社が開発した遺伝子増幅技術を用いた装置と試薬を使うことでリンパ節1個へのがん転移の有無を約30分で判定でき、従来の方法と同等の検査精度が得られる。検査の自動化で病理医の負担軽減にもつながる。

2010年12月29日 日刊工業新聞

| 大腸がんが治った体験談 | |
病院から社に業務電話 「心配するな」と社長 直腸がん(2) 高垣諭さん(40)

  2006年に大腸がんと告げられ、手術に臨みました。執刀医は歳も同じくらいの誠実な先生。今でも外来でお会いしていますが、この先生に出会えたおかげで前向きにがんばろうという気になれたと思っています。治療方法や今後の生活についての丁寧な説明や前向きな激励は、非常にありがたかったです。

 当初、がんは初期のものだろうと言われ、手術は「経肛門(こうもん)」といってお尻の穴から手術器具を入れてがんを切除すると説明を受けました。しかし、再度の内視鏡検査やレントゲン検査などをしていくに従い、「もしかしたらがんが腸の内壁に浸潤している、つまり進行がんかもしれないが、詳しくは開腹してみないとわからない」との診断結果が出ました。

 このとき示された手術の選択肢は「経肛門手術」と「開腹手術」の2つありました。そして、どちらにするかは、自分で判断しなければならなかったのです。

 経肛門手術は、術後の仕事への復帰が早く、生活にそれほどの支障はないかわりに、がんを取り残すリスクが少なからずあり、開腹手術は、がんのすべてを切除できるが、術後に排便障害になる可能性がある、との説明を受けました。

 術後のQOL(Quality of Life:生活の質)については悩みましたが、命あっての人生、そして仕事です。家族と相談のうえ、まずは完全にがんを治すことを優先するため、開腹手術に決めました。

 手術の名前は「超低位前方切除術」。10年も前であれば、がんから場所が近い肛門も切除し、永久人工肛門になっていたところですが、最近は温存式のこの術式が多く用いられているそうです。

 予想以上に長引いた手術は成功でしたが、がんの取り残しを避けるため直腸は全部摘出。リンパ節も念のためとりました。幸い転移はありませんでしたが、大腸と肛門との接合部がしっかりつくまで一時的に人工肛門となりました。約3カ月の経過措置とはいえ、意識が回復した際はショックでした。

 術後は自分の身体と思えぬほどの発熱、痛み、だるさに苦しみました。寝返りさえうてず、ほんの10cm先にあるタオルをとることさえ、ひと仕事でした。この時ばかりは、ごく普通に生活することのありがたさを身にしみて知りました。毎日見舞いに来てくれ、励ましてくれた妻や家族には心から感謝しています。

 術後の数日を除き、入院中は定期的に会社に連絡をいれ、業務の進ちょく状況等を確認しました。「自分がいないと仕事が滞るのでは」と思っても、それなりになんとでもなるのが世の常。寂しくもあったのですが、給与も通常通りに支払われ、しかも仕事については心配しないようにと、社長から温かい言葉も頂けたので、安心して治療に専念することができました。

 術後12日間で退院。体力が戻っていないため、2週間ほどは自宅待機しておりました。ちょっとの移動や通勤で疲れてしまいしんどかったのですが、いてもたってもいられず、仕事に復帰しました。

2010年11月6日 日本経済新聞

| 大腸がんが治った体験談 | |
元マラソン選手 金哲彦(きん・てつひこ)さん(46)

 マラソンにかけた半生を振り返りながら、がんとの闘いを記した「走る意味――命を救うランニング」(講談社)を今年2月に出版した。

 大学、社会人でマラソンランナーとして活躍した。しかし、2006年夏、長野県であったマラソン大会にゲストで参加した帰り、新幹線のトイレで大量に下血した。すぐに千葉県の自宅近くの病院で内視鏡検査を受けた。自分の腸を映していたモニター画面に、どす黒い塊が現れた。

 大腸がんだった。

 毎年、人間ドックで便潜血が見つかっていたが、「痔だろう」と気にしていなかった。「なぜ自分が」と一時は落ち込んだが、「40代で死んでたまるか」と生来の負けん気が出てきた。

 すぐにがんの切除手術を受けて、その2週間後には退院して仕事に復帰した。がんのことは周囲に隠していた。かわいそう、と同情されたくなかった。切った腹部が痛んで走ることができなかったが、「足の調子が悪い」などと言ってごまかした。

 がんは切っても、再発、死への恐怖感はなかなか消えない。走ることで、弱気に打ち勝とうとした。フルマラソンを走り切って、「完全復活」を目指した。落ちた体力を早く取り戻そうと、少しずつ走る練習を続けた。

 07年7月、平らで走りやすいオーストラリア・ゴールドコーストのコースを選んだ。左足が痛んで後半の約12キロは走れず、5時間42分かかってゴールした。記録は自己ワースト。しかし、心は充実していた。「生きていることを実感できた。痛みすら、生きている証しだとうれしかった」

 昨年11月、つくばマラソンで3時間を切って完走できたことで、がんの公表を決めた。「『私も走ろうと思った』『なにかチャレンジをしたくなった』と反響をもらった。自分の経験を通じて、多くのがん患者に勇気をもってもらいたい」

2010/07/20 朝日新聞

| 大腸がんが治った体験談 | |
病と生きる ギタリスト・寺内タケシさん(71)

 ■がん経て検診の大切さ痛感 体にもメンテナンスは必要

 ギタリストの寺内タケシさんは平成13年暮れ、大腸がんと告げられ、翌年に手術を受けた。それまで入院した経験はゼロという寺内さんだったが、その後も肺気腫(はいきしゅ)などで手術を経験した。現在は人間ドックや血液検査を定期的に実施。楽器だけでなく、自分の体も入念にメンテナンスしている。(森本昌彦)

 自覚症状は何もなかったんですよ。医師からの宣告なんていう大げさなものもなかった。平成13年の暮れごろ、親しくしているお医者さんに「クルーザーで東京湾に出ようよ」と言われて。出かけると、「ところで、話があるんだ」「何だ?」と言うと、「がんだ」というわけ。「治せばいいじゃないか。帰ろう」。それで終わりですよ。

 後から分かったことですが、検便で見つかったみたいです。告げられたときの感想? がんなんてよくある話だし、「治せばいい。治んなきゃ死ぬだけだ。いいじゃないか」と思いましたね。信頼している医者がそう言うんだから、その通りにやればいいんですよ。

 入院したのは次の年の2月。オリエンテーションで「脊髄(せきずい)への麻酔の注射をやるのか」と聞くと、看護師長が「やる」と言うんです。どうしても嫌だから、「帰る」と言って立ち上がったんですよ。そうしたら「男として情けない」と言われてね。それでも「帰る」と言うと、医者が協議してマスクによる麻酔になりました。

 医者が「痛くない、痛くない」と言っても、医者は痛くない。こっちが痛いんだから。病院はおかしいことがいっぱいありますよ。

 だけど、主治医はいいこと言いました。手術の後に傷跡を見て、「寺内さん、病気は治りました。あとは傷だけです」。これほど患者を安心させる言葉はありません。「えらい、褒めてとらす」と思わず言いました(笑)。

 麻酔されて寝ていたから手術のことは分からない。大変だったのはその後。病院に入院したのが初めてで、うちの奥さんも看護に慣れていない。入院中は電動ベッドだったんですが、「腰の感じが良くないから起こしてくれ」と言うと、起こしすぎて「痛いっ」となっちゃった。

 個室にはトイレも付いていたけれど、用を足すためにそこまで歩くのも痛い。溲瓶(しびん)を使うことにしました。ところが、うちの奥さんが瓶の口を下に向けたまま取ったから、全部ベッドにこぼれちゃった。ナースステーションからみんな来て、「駄目よ。こぼしちゃ」っておれが言われちゃった。

 入院していたのは1週間ぐらい。駄目なら駄目だし、よければ治るんだから。信頼している医師に預ければいい。深刻になっちゃいけない。「新国劇」の役者じゃないんだから(笑)。

 〈その後、寺内さんは肺気腫や不整脈で手術を経験。今は定期的に検査を受け、自らの体をチェックしている〉

 人間ドックは3カ月ごと、血液検査は毎月、心臓の検診は半年に1回受けています。それぐらいやっていれば自分で納得できるし、未然に病気を防ぐことができる。病気になっても、初期の段階できちんとした治療をすれば大事にならない。事前に察知することが必要です。

 入院中になぜか、ギターとアンプのメンテナンスのことを考えました。いいギターを弾こうと思ったら、完璧(かんぺき)にメンテナンスをしていないといけない。人間の体も同じじゃないかと。ある人はこんなことを考えること自体が病気だと言うけれどね(笑)。

 おれはいいギターを弾くために生まれてきました。だから、健康でなければならない。悪ければ治せばいいと思っています。自分の体のことを分かり、指示できる「指示医」は自分しかいない。自分で考えていいと思ったことをやったらいいと思いますね。


【プロフィル】寺内タケシ

 てらうち・たけし 昭和14年1月、茨城県生まれ。5歳からギターを始める。関東学院大学在学中にプロ活動を始め、37年に寺内タケシとブルージーンズを結成。ファンからは「エレキの神様」として親しまれ、精力的な活動を続けている。現在は「バンド結成50周年祭り」で全国各地をツアーしている。

2010年6月4日 産経新聞

| 大腸がんが治った体験談 | |
「3大テノール」のP・ドミンゴ、大腸がんから復帰

スペインの世界的テノール歌手、プラシド・ドミンゴ氏(69)が12日、病気療養からの復帰に向けた現在の心境を語った。

 ドミンゴ氏は2月の東京公演中に腹痛を訴え、3月にニューヨークの病院で大腸がんの手術を受けて療養していたが、今月16日に予定されているミラノのスカラ座公演から復帰する。

 ドミンゴ氏は記者団に対し「ミラノへの復帰の喜びは非常に大きい。(病気の)恐怖の後にキャリアを続けられるのでなおさらだ。腫瘍(しゅよう)という言葉は聞くのは確かに怖いものだ」と語った。

 ドミンゴ氏は、2008年に死去したイタリアのルチアーノ・パバロッティ氏、昨年に引退を宣言したスペインのホセ・カレーラス氏と並び、世界の3大テノールと呼ばれている。

 ドミンゴ氏が復帰するスカラ座公演のチケットは12─187ユーロ(約1500─2万3000円)で販売されており、すでにほぼ完売状態だという。

2010年4月13日 ロイター

| 大腸がんが治った体験談 | |
大腸がん早期発見、新型内視鏡開発 柏原赤十字病院 

先端部が大きく曲がるようになった新型

 大腸がんの早期発見に役立てるため、丹波市柏原町の柏原赤十字病院が、新型の大腸内視鏡を、精密機器メーカー「オリンパスメディカルシステムズ」(東京都)と共同開発した。湾曲した大腸の中をスムーズに動かせるよう改良。以前は発見困難だった深部の病巣が見つけやすくなり、検査時の痛みも軽くなるという。

 大腸がんは、肛門(こうもん)付近の直腸などにできやすいといわれてきたが、食生活が脂肪摂取の多い欧米型に変わったことなどから、近年は大腸の深部での発見が増えている。

 大腸内視鏡検査では、直径約11〜12ミリ、約1メートルの管を肛門から挿入。小型カメラが付いた先端部を操作機で曲げながら、深部へと管を押し込んでいく。従来型は先端部の曲がり方が小さく管も堅いため、深部への挿入は難しく、患者に苦痛を強いるケースが多かった。

 新型は、従来型より先端部が大きく曲がるのが特徴で、管も直径約9ミリと細くした。さらに大腸の湾曲に沿ってしなやかに曲がる柔らかさを持っており、深部までスムーズに検査できるという。

 同病院を含む全国5病院へ各1台を試験的に配備。既に約200人に行った臨床検査では、従来型より痛みが軽くなったという意見が目立ったという。同病院の蓮尾直輝医師(38)は5月の日本消化器内視鏡学会で臨床検査の結果などを発表する。

2010年4月6日 神戸新聞

| 大腸がんが治った体験談 | |
大腸がん 術後の生活と根治両立 実力病院調査 治療の今

 がんによる死亡数で女性のトップ、男性でも3番目に多い大腸がんは外科手術や内視鏡治療、抗がん剤など治療技術の進歩もあり、転移や再発があっても治る患者もいる。日本経済新聞社が「日経メディカル」誌の協力を得て実施した「日経実力病院調査」では根治を目指すだけでなく、患者の「生活の質」を維持するため切除範囲を極力少なくし、機能を温存する難しい課題に取り組む姿が目立った。

 食べ物を消化吸収する消化管の最後の部分である大腸は長さが約1.5〜2メートルで、盲腸から始まるS状結腸までの「結腸」と、S状結腸を過ぎてから肛門(こうもん)までの「直腸」に大きく分けられる。今回の調査では患者の生活が大きく変わる直腸がんの手術数で比較した。

  2008年7〜12月で、直腸がんの「手術あり」症例数(退院患者数)が最も多かったのは愛知県がんセンター中央病院(名古屋市)で135例。平井孝・消化器外科部長は「肛門の機能を温存できるかの判断の違いで、術後の患者の生活は大きく変わる」と強調する。肛門や周辺の筋肉(括約筋)を切除すると、人工肛門を取り付けなければならないためだ。

 通常はがんの下端が肛門から5センチ以内の場合、再発を防ぐために肛門も切除する。周辺部位をできるだけ切除してがんの取り残しをなくすことは基本だが、平井部長は「肛門から2センチ程度離れていれば、機能を残せる場合もある」と説明する。

 同病院は国立がんセンターなどと協力、こうした直腸の下部にできたがんでも、肛門を温存する手術方法の研究に取り組んでいる。「どの場合に温存できるかの判断は難しい」という平井部長は「肛門を『切除するしかない』という主治医の診断に不安があれば、研究参加施設でセカンドオピニオンを受けて判断する方法もある」という。

 同病院はほとんどが開腹手術だが、逆に9割以上を身体的負担の少ない腹腔(ふくくう)鏡手術で行っている病院もある。「難易度が高いとされている直腸がんの手術が年々増加している」という大阪医大学病院(大阪府高槻市)は昨年の直腸がん手術件数183件のうち、9割を超える171件が腹腔鏡だった。

 腹腔鏡手術では、腹部に5ミリ〜1センチの穴を4〜5カ所開け、そこから腹腔鏡と呼ばれるカメラと特殊なはさみや電気メスを入れ、大腸の患部を切除。別に5センチ程度切開した場所から腸を引き出し、腹部の外または内部でつなぐ。

 触診ができないなど技術的に難しいとされるが、「画面を6倍に拡大して見られる。肉眼では見えにくい細い神経なども傷つけずに手術が可能」と奥田準二准教授。腹部に20センチにも及ぶ傷が残る開腹手術に比べ傷が小さく、術後の回復も早い。入院日数も開腹の2〜4週間に対し、1〜2週間で済む。

 肛門に近い直腸がんでの肛門温存手術も腹腔鏡で実施。奥田准教授は「内視鏡を併用することもある。下部直腸がんの92.2%で温存に成功した」という。「合併症として(一般に)縫合不全が平均10%に起きるとされるが、その割合も2%に抑えている」と胸を張る。

早期なら内視鏡治療

 内視鏡検査で病変部が小さなポリープの場合や、がんが大腸の粘膜下層まででとどまっていて他の臓器への転移がない場合、外科手術ではなく内視鏡治療で対応が可能だ。今回の調査対象とした診断群分類別包括払い(DPC)制度では内視鏡治療は「手術あり」に含まれている。

 昭和大学横浜市北部病院(横浜市)は08年の1年間で、早期がんに対し204件の内視鏡治療を実施、国内でも有数の実績がある。多くの病院は内科が内視鏡を手掛け、開腹や腹腔鏡は外科が担当している。だが、同病院は「診療科の垣根を取り払い、内視鏡だけでなく手術や化学療法など多様な治療を提供できる体制が特徴」(工藤進英・消化器センター長)という。

 内視鏡での診断には、患部を約100倍に拡大して観察できる拡大内視鏡を使い、染色液を使って腸の表面部にある細胞組織や毛細血管の様子を見る。ポリープならば、針金の輪のような器具で根元を切る「ポリペクトミー」という手法でつまみ取る。粘膜に大きく広がるがん病変部では、微細な電気メスでそぎ取る「内視鏡的粘膜下層剥離(はくり)術(ESD)」も実施している。

 工藤センター長は「粘膜がへこんだように病変部が広がる“陥凹(かんおう)型”の大腸がんは、自覚症状のない早期段階でも腸壁の深い部分に進む可能性がある。定期的に検診を受け早期発見に努めてほしい」と訴えている。

抗がん剤種類増加 状態に応じて併用が可能に

 大腸がんに対する抗がん剤は2000年代になって選択肢が次々増えた。主に手術後の再発を抑制するために使う方法と、切除できない患者や再発した場合に使う方法がある。抗がん剤治療だけでは完治はしないが、種類の増加で患者の状態に合わせて複数の治療が可能になっている。

 大腸癌(がん)研究会(東京)が作成している治療ガイドラインによると、手術後に再発防止で使う療法では、消化器がんの基本薬である「5―FU(ファイブ・エフユー)」や「UFT」を中心として、複数の抗がん剤を組み合わせている。

 昨年だけでも乳がんに使われていたカペシタビンが大腸がんでも広く使えるようになったほか、オキサリプラチンやアバスチンも他の抗がん剤と併用できるようになるなど、新しい組み合わせも増えた。同ガイドラインによると、切除できないと診断された場合の生存期間の中央値は約8カ月だが、抗がん剤を使えば約2年まで延長。また、切除不能の大腸がんが、抗がん剤治療の効果から切除可能になることもあるという。

5年生存率、大幅に向上

 がん治療の中核施設が加盟する全国がん(成人病)センター協議会(全がん協)によると、1997〜2000年に入院治療を受けた直腸がん患者の5年生存率は最初期の1期で96.9%、2期も86.4%、3期でも71.7%と7割を超える。結腸がんはさらに高く1期で98.1%、2期で94.0%、3期で 77.4%。4期では直腸がんで16.3%、結腸がんで20.1%と低くなるが、全がん協は「施設間の格差は認められない」とみる。

 転移を防ぐためにリンパ節を徹底的に摘出する「拡大郭清」という手法が90年代以降に全国的に普及したことで、治療成績は大幅に向上。愛知県がんセンターでは3期で5年生存率が20〜30ポイントも向上したという。一方、周辺組織や臓器を広範に切除すると、自律神経や排便機能の障害など後遺症もあり、治療成績を落とさずに後遺症を少なくする試行錯誤が続いている。

専門家はこう読む 「手術なし」も注目

 森武生・都立駒込病院名誉院長 大腸がんは「手術ができない」と診断されても、抗がん剤や放射線治療でがんを小さくしてからの手術もできる。転移でも手術でき、末期状態でも抗がん剤治療で平均で2年近く生存できるなど、治療期間が長いのが特徴だ。今回の調査では「手術あり」だけでなく、「手術なし」の症例数も多い施設にも注目すべきだ。

 「手術あり」「手術なし」が多い施設は手術できる患者だけでなく、手術できないと診断された患者や再発した患者も多く受け入れて治療しているとみられる。米国では手術や放射線治療、抗がん剤治療、そして緩和治療などは別々の医師がそれぞれの施設で行っている。日本では1つの病院で複数の治療方法ができる。特に大腸がんでは患者の状態に応じて適切な治療法を選択できることが大事だ。

 主治医に「治療法がない」と言われてセカンドオピニオンで訪れる患者の約2割はまだ治療法がある。残念ながら治療の知識や経験が不足している医師もいるためだ。診断に不安があれば、がん関連の学会などで構成する日本がん治療認定医機構の「がん治療認定医」に相談してほしい。認定医と所属施設はホームページ(http://www.jbct.jp/)で公開している。

 大腸がんはおとなしいがんで、“治るがん”になる可能性がある。完全に治らなくても現在の状態を維持する療法もあり、患者に良い余命を与えることも可能だ。「再発して治療法がない」という状況でも希望を失わないでほしい。

2010年3月21日 読売新聞

| 大腸がんが治った体験談 | |
がん闘病を乗り越えた北アイルランドの男性(47)が22日、ジャイロコプターによる世界一周旅行に飛び立った。

 この男性はノーマン・サープラス(Norman Surplus)さん。1日に300マイル(約480キロ)を飛び、7月中頃までに2万7000マイル(約4万3000キロ)の旅を終える予定だ。

 サープラスさんは、北アイルランド・ベルファスト(Belfast)の北にある沿岸部ラーン(Larne)の平原から飛び立った。東へ向かって飛行を続け、休憩と燃料の補給に1日1度着陸しながら26か国を訪れる旅だ。中国上空は迂回するルートをとるが、これは許可を得るのが「難しすぎたため」だという。

 サープラスさんは2003年に大腸がんと診断された。「ベルファストのがんセンターで手術と化学療法を終えて療養中に、日中のテレビでオートジャイロの復元に取り組んでいる番組を観たんだ」と述べる。「そのとき、この冒険の着想を得た。状況が一変するんじゃないだろうか、ってね」

 小さな黄色いオートジャイロで世界一周に成功すれば、世界新記録を達成することになる。オートジャイロは現代のヘリコプターの前身。サープラスさんは、「世界一周を達成していない唯一の航空機なんだ。2005年に挑戦がなされたが、インドでモンスーンにぶつかって中止となった」と述べる。そこで今回の挑戦は、インドの雨季を避ける時期に設定した。

 サープラスさんのオートジャイロにはGPS(衛星利用測位システム)端末が搭載されており、現在位置を以下のサイトで確認することができる。サープラスさんは、道中、がん研究のための資金提供を募るつもりだ。

2010年3月23日 AFP

| 大腸がんが治った体験談 | |
3大テノールのドミンゴさん、がん手術受け退院
手術を受け退院したプラシド・ドミンゴさん=AP

「3大テノール」の1人として知られるスペイン出身のオペラ歌手、プラシド・ドミンゴさん(69)の広報担当者は8日、ドミンゴさんがニューヨーク市内の病院で先週、大腸がんの手術を受け、7日に退院したことを明らかにした。

 公式サイト上の声明によると、大腸に見つかった悪性ポリープを腹腔(ふくくう)鏡を使って切除した。

 6週間の療養が必要とされ、復帰は4月16日の伊ミラノ・スカラ座でのオペラ公演「シモン・ボッカネグラ」の見通し。療養中も、ワシントン・ナショナル・オペラなどでの芸術監督の仕事は続ける。

 ドミンゴさんは、2月の東京公演中に激しい腹痛に見舞われ、ニューヨークに戻って検査などを受けていた。

2010年3月9日 読売新聞

| 大腸がんが治った体験談 | |
「向き合う気持ち大事」 
がんテーマ 鳥越さんが講演

がんとの闘病について講演する鳥越俊太郎さん

 がん治療の最新情報を紹介する「がんを知る全国フォーラム in 福岡」(西日本新聞社、アフラックなど主催)が6日、福岡市・天神のエルガーラホールであり、がん闘病中のジャーナリスト、鳥越俊太郎さん(69)が講演した。

 鳥越さんは約650人の参加者を前に、2005年に直腸がんが見つかり腸を20センチ切ったことや、07年にがんの肺への転移、09年に肝臓への転移が認められ、それぞれ手術し、経過観察中であることなど、自身の病状や治療法を紹介。「がん告知は死の宣告ではない。がんと向き合い生きようという気持ちが大事」と気持ちの持ち方を語った。

2010年3月7日 西日本新聞

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