子宮頚がんの元タカラジェンヌ
「あきらめないで」 元タカラジェンヌががん患者を応援
人々との出会いがときめきそのもの−。がんの闘病生活を経た元宝塚歌劇星組の夏峰千さん=堺市西区=が、がん患者を応援するために制作した歌「ときめき」を通して、“仲間たち”に「これからの人生を前向きに生きて」とメッセージを発信し続けている。 がん患者やその家族らを前に「ときめき」を歌う夏峰さん
夏峰さんは1984年に同団に入団し、男役として活躍。退団後も舞台の仕事を精力的にこなす中、2008年に子宮頚(けい)がんが見つかる。「治癒が見込めない」と主治医から余命を告げられ、「胸が張り裂ける思いだった」。今でも思い出すと涙にむせぶ。
放射線治療や抗がん剤治療のほか、「がんに効くとされるものは何でもやった」。その結果、幸いにも確認できるがんはなくなり、再発や転移も起こっていない。
しかし、悩まされたのが副作用。苦しさのあまり食べ物を口にできず、仕事に復帰したい思いは強かったが、外に出ることすら臆病になることもあった。
こうした時期を乗り越える原動力となったのは人とのつながりだった。
09年、かつて一緒に仕事をした恩師、作詞・作曲家の益田兼大朗さんとの再会を機にがん患者応援ソングを制作。闘病中、同じがん患者の存在に励まされた夏峰さんが、今度は歌を通して励ます側に回ればいいとの激励に応えた。歌詞には、大切な人を思って「泣きたいほどのときめき」を覚えることが織り込まれる。
夏峰さんは「この曲をきっかけに、私も前を向いて突き進んでいきたいと思うようになった」と打ち明ける。数々の舞台で歌い上げ、今月22日には大阪市内でがん患者や家族らでつくるNPO法人主催のイベントで披露。声量のある伸びやかな歌声で参加者を魅了しつつ、人との出会いがときめきを生み、思わぬ成功を呼び込む可能性があることを伝えた。
夏峰さんは「誰であろうといずれは神様に召される日は来る。重要なのは旅立つ寸前にいい人生だったと言えるかどうか。病気と共存する状態になったとしてもあきらめないで」と呼び掛け、曲が終わっても声援はやまなかった。
以前は自分が活躍したいという思いが強かったという夏峰さん。今は「誰かのために役立ちたいという思いで気持ちが固まった」とほほ笑む。これまでに亡くなったがん患者の友人を思い、「今できることをやるのは残された者の使命」と胸に刻みながら。
2011年1月31日 大阪日日新聞
人々との出会いがときめきそのもの−。がんの闘病生活を経た元宝塚歌劇星組の夏峰千さん=堺市西区=が、がん患者を応援するために制作した歌「ときめき」を通して、“仲間たち”に「これからの人生を前向きに生きて」とメッセージを発信し続けている。 がん患者やその家族らを前に「ときめき」を歌う夏峰さん
夏峰さんは1984年に同団に入団し、男役として活躍。退団後も舞台の仕事を精力的にこなす中、2008年に子宮頚(けい)がんが見つかる。「治癒が見込めない」と主治医から余命を告げられ、「胸が張り裂ける思いだった」。今でも思い出すと涙にむせぶ。
放射線治療や抗がん剤治療のほか、「がんに効くとされるものは何でもやった」。その結果、幸いにも確認できるがんはなくなり、再発や転移も起こっていない。
しかし、悩まされたのが副作用。苦しさのあまり食べ物を口にできず、仕事に復帰したい思いは強かったが、外に出ることすら臆病になることもあった。
こうした時期を乗り越える原動力となったのは人とのつながりだった。
09年、かつて一緒に仕事をした恩師、作詞・作曲家の益田兼大朗さんとの再会を機にがん患者応援ソングを制作。闘病中、同じがん患者の存在に励まされた夏峰さんが、今度は歌を通して励ます側に回ればいいとの激励に応えた。歌詞には、大切な人を思って「泣きたいほどのときめき」を覚えることが織り込まれる。
夏峰さんは「この曲をきっかけに、私も前を向いて突き進んでいきたいと思うようになった」と打ち明ける。数々の舞台で歌い上げ、今月22日には大阪市内でがん患者や家族らでつくるNPO法人主催のイベントで披露。声量のある伸びやかな歌声で参加者を魅了しつつ、人との出会いがときめきを生み、思わぬ成功を呼び込む可能性があることを伝えた。
夏峰さんは「誰であろうといずれは神様に召される日は来る。重要なのは旅立つ寸前にいい人生だったと言えるかどうか。病気と共存する状態になったとしてもあきらめないで」と呼び掛け、曲が終わっても声援はやまなかった。
以前は自分が活躍したいという思いが強かったという夏峰さん。今は「誰かのために役立ちたいという思いで気持ちが固まった」とほほ笑む。これまでに亡くなったがん患者の友人を思い、「今できることをやるのは残された者の使命」と胸に刻みながら。
2011年1月31日 大阪日日新聞
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