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癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報
余命宣告の高木さん、1日から折り紙個展

最新作「スキー」を手に、「できた作品見たらニコニコとなってくる」と話す睫擇気 - 余命宣告の高木さん、1日から折り紙個展

折り紙歴60年の睫斃杞圓気(76)=和歌山市三葛=が1日から、市内のギャラリーで折紙個展を開く。サブタイトルは「を道連れにうたを折る」。肝臓がんと肺がんを再発し、昨年12月に余命1年を宣告された睫擇気鵑蓮△修瞭「よっしゃ、それならわしゃーこれから個展やるばい」と制作を開始。同展ではこの1年間に作った三十数点を含む計60点を展示する。睫擇気鵑蓮嵳イ靴気鮃げる折り紙のすてきさ、楽しさをぜひ知ってもらいたい」と笑顔で話している。


展示作品は、情緒溢れる童謡シリーズと風景シリーズ。「とんぼのめがね」「富士山」などの童謡や叙情歌、「公園の親子」「郡上踊り」などの風景を情景が浮かぶような額作品に仕上げた。すべて最初にがんの手術をした平成3年以降の作品になる。

睫擇気鵑論觜陲鮗けた日、鏡に向かって誓いを立てたという。「この病のために○○ができん、そんなことは一切言わんぞ」と。そして「野菊」を作り始め、後日誓った時の自画像も作った。その作品も展示する。

「でも、歯を食いしばってというのじゃない」と穏やかに。抗がん剤の副作用で右手の指がうまく曲がらないが、テレホンカードやスポンジなどで補助具を作った。「痛いし、つらいのはいつもだけどしゃあない。そういう時は工夫するチャンス。苦を楽にしたらいい。自分の知恵で克服するとうれしいし楽しいですよ」。また今回の個展に際し、大学卒業後一回も会っていない人が応援してくれた。「こちらが気付かん協力者が多いと気付いた。ありがたい」と話す。

小学校教員志望だったために折り紙を始め、退職後も公民館や図書館などで大勢を指導してきたが、忘れられない経験がある。担任したクラスで、心配していたいじめが起こらなかったのは折り紙のおかげだった。折り紙に助けられたという。

「いつでもどこでもでき、近所の子やおばあちゃんにあげれば喜んでもらえる。優しさをあげ、優しさの輪を広げる力が折り紙にはある。サバサバした今の世の中の潤滑油にしてほしい」と、とびっきりの笑顔で話している。

個展は1日から6日まで、同市湊通丁北のホテルアバローム紀の国のギャラリー龍門で。6日は睫擇気鵑アイデアを伝授する。

2010年11月30日 和歌山新報

| 肝臓がんが治った体験談 | |
鳥越さん4度のがん手術経験し肉体改造

 ジャーナリスト鳥越俊太郎氏(70)が、BS朝日「鳥越俊太郎 医療の現場!」(土曜午後6時)の番組内で100日間の肉体改造に挑戦した。鳥越氏は05年に大腸がん、その後も肝臓への転移で計4度の手術を体験。現在は定期的に東洋医学の医院に通い、徹底した食事管理と運動で健康を取り戻している。今年古希を迎え、この先寝たきりの生活にならないようにと改めて肉体改造を決意したという。

 チャレンジは4月23日からスタート。元プロ野球選手清原和博氏(42)も通う、ケビン山崎氏のジム「トータルワークアウト」で専属トレーナーの指導を受けた。週3日のトレーニングで、6月ころから明らかな変化が見え始め、「脳から筋肉への命令伝達時間が短くなった。鳥越さんは気迫が体からみなぎっていて、私が勇気をもらっている」と山崎氏も舌を巻く熱心さだったという。

 鳥越氏は「何歳になっても体を鍛えることはできる。同時に心も鍛えられて、人生を豊かにできると実感しました。今後も続けていきたい」とさらなるトレーニングに意欲をみせている。スタート時、太鼓腹でぷるぷるしていた二の腕はどう変化したのか。7日放送。

2010年8月5日 朝日新聞

| 肝臓がんが治った体験談 | |
がんのドラマー、舞台に 音楽仲間が支援ライブ 仙台

昨年7月、1回目のエイドでかつてのバンド仲間と演奏するケンちゃん。いまは治療中で表に出るのを控えているが、再びステージに立つ日を信じて病と向き合っている

エイドのスタートから支援の輪はどんどん広がっている

 ドラマーのケンちゃんは、がんと闘っている。40歳。5年間の治療の末、昨年春、「もう治療法はない」と告げられた。仕事を辞めて家で療養する彼を、音楽仲間がチャリティーライブなどで支援している。大好きな音楽と大勢の思いに後押しされ、ケンちゃんは前へ歩み続ける。(夕刊編集部・安倍樹)

 2月下旬、仙台市青葉区のライブハウス「マカナ」で、9回目の「ケンちゃんAID(エイド)」が開かれた。募金と入場料など収益の一部を支援に当てるチャリティーライブ。ケンちゃんも会場に姿を見せ、1曲だけだが久しぶりにスティックを握った。「ありがとう。みんなに元気をもらったよ」

 ケンちゃんこと一ノ瀬健治さんは、昨年夏まで18年間、ヤマハ仙台店音楽教室のドラム講師だった。
 不調を訴え医療機関で検査を受けたのは2004年末。「胆管細胞がん」と診断され、肝臓の一部を切除する手術を受けた。回復して仕事に復帰したが、1年半後に肺、リンパ節への転移が見つかり、抗がん剤治療を続けていた。

 しかし昨春、主治医に告げられる。「あなたに効く薬はもうない。残された時間は好きなことをして生きなさい」
 「保険適用の治療がなくなり医師に見放された、いわゆる『がん難民』です」とケンちゃん。名取市内のパートナー宅で漢方や食事、温泉治療を続けている。「宣告された余命はとうに過ぎましたが、まだまだ生きたいですから」

 「収入が無くなり治療費もままならない健治を、何か手助けしたい」。同僚のギター講師今田昇さん(43)が友人と話し合ったのは昨年6月。「おれたちの共通項は音楽」と企画したのが「ケンちゃんAID」だ。翌月の初回に、多くの音楽仲間が集まった。

 かつては仙台の人気バンドで活躍したケンちゃん。腕を競った往年の仲間がバンドを再結成して参加した。穏やかな人柄を慕い、東京から駆けつけた友人や教え子もいる。次々と協力の申し出があり、エイドは回を重ねた。

 ケンちゃんはエイドが始まるとき「恥ずかしいなあ」と遠慮がちだった。だが、今は違う。一度は断った取材を受けてくれたのも、療養の過程で、現代医療に見放されて漂流する「がん難民」の姿を目の当たりにしたからだ。

 「湯治場には、自分と同じ境遇のがん患者が100人以上いたんです。病気になって初めて知りました。こうした実態を多くの人に知ってほしい」。75万人ともいわれる「がん難民」を生み出した医療の現実に、少しでも関心を持ってほしいとも。

 ケンちゃんは今、少し体調がすぐれない。そんなときは気もふさぐ。いつも仲間がそばにいることを伝えようと、今田さんたちは2日、エイドの音源をCDにして届けた。

 マカナ店長でバンド仲間だった佐藤洋一さん(43)は言う。「生きがいを持つことで自己免疫力が高まり、がんを克服した人はいくらでもいるでしょう。音楽を通して彼もそうなってほしい」

 支援活動で、音楽の力や社会の優しさを再発見した人もいる。同僚のギター講師斎藤稔さん(53)は「応援しているつもりが、実は彼から気付かせてもらうことの方が大きいと感じるんです」

 エイドの舞台に毎回掲げられるフラッグには、英語でこう記されている。「おれたちはケンちゃんのリズム、笑顔、そして命を愛してる」
 ケンちゃん、きみは一人ではない。再びスティックを握る日が近いことを、みんな信じてるぜ!

 10回目のエイドは7日午後6時から、青葉区一番町のライブハウス「フック」=022(716)8633=で。入場料1500円。今田さんらは「ケンちゃんAID」への参加を広く呼び掛けている。詳しくはホームページhttp://www.interq.or.jp/rock/macana/ken.html

2010年4月5日 河北新報

| 肝臓がんが治った体験談 | |
「レバー4キロください」からがん治療

 医学博士号を取得後、私は医局人事でSセンター肝臓外科の一員となり、ガン手術と臨床研究の日々を送っていた。肝臓は食事をした栄養分や体内に入った毒素の処理を行い、エネルギーの貯蔵と凝固因子や創傷治癒因子などを作る、いわゆる体の製造工場である。すなわち、肝臓が働かなければ人間は生命を維持できない。だから、肝臓にメスを入れ、肝臓を大きく傷つけると働かなくなり、命を落とすこともある。

 一方、肝臓はスポンジのように血液を蓄える血管だらけの臓器で、肝切除は出血との戦いとなる。

 ある肝ガンの研究会で「肝ガンで肝切除をしようと開腹したが肝臓の表面に“ガン”が見えていたので、肝臓を切るためのマイクロ波メスの電極をそのまま“ガン”に刺しこみ、マイクロ波を照射した。すると、切除したのと同様、手術後のレントゲン写真で“ガン”がきれいに消えていた」という発表を私は聞いた。私はこの治療は簡単で出血がなく、画期的な治療だと感激した。

 その発表を聞いた1年後、私は肝臓外科専門医としてT病院の消化器外科に異動を命ぜられた。当時、肝ガン治療は新たな医療分野として開花期にあり、外科医は肝切除、内科医はアルコールを“ガン”に注入、放射線科医は血管カテーテル手術で“ガン”の動脈を詰める治療を開発し、治療成績を競っていた。

 また、日本が世界に先駆け、さまざまな治療法を開発した時期でもあった。Sセンターも日本の最先端治療を行っていた。だからT病院勤務はある意味、格下の病院への異動ともいえた。しかし一方で、私は肝臓外科未開の地で仕事ができることに対して期待も抱いていた。

 赴任先で私は切除しきれない転移性肝ガンを前に、あのマイクロ波で“ガンを熱凝固する治療法を思い出した。転移性肝ガンに対するマイクロ波熱凝固療法の始まりであった。当時は“ガン”にマイクロ波を1分間照射しても、1回では数ミリメートルしかマイクロ波は届かず、肝の表面以外は“焼け”なかった。どうすればもっと“焼く”ことができるか頭から離れなかった。

ある日のこと。

「上ミノ、バラ、カルビそれぞれ1キロとタン500グラム、それと…」

 と見渡し、目に留まった大きなレバー。

「レバー4キロください。かたまりで」

 と思わず注文する私。

「レバー4キロですか」

 と肉屋の店員さん。

「小さく切らないでできるだけかたまりでね」

 と覗き込みながら答える私。

 友人家族をたくさん招いた焼肉パーティーの買い出しであった。翌日、私は冷蔵庫の大きなレバーを病院へ持って行き、マイクロ波の実験を術場看護師長に申し出た。

「手術場で焼肉実験する人なんていませんよ。機材室でね。電極は滅菌するので使用後はちゃんと水洗いして床もふいておいてくださいね」

 と看護師長。

「はい、わかりました」

 と私。

 すぐに機材室の片隅の小さなスペースで実験に取り掛かった。まず持ち込んだレバーに電極を刺し、マイクロ波メス1分凝固を行ってみた。そして電極を刺した面が出るように肝臓に包丁をあて、切り込む。そして割面を開くと私は驚いた。

「手術中は数ミリしか焼けなかった肝臓が20ミリ以上焼けている。手術中の肝臓とこの牛レバーの違いは…血流か?」と。

 血が通った肝臓ではいくら焼こうとしても血流がラジエーターのように組織のオーバーヒートを抑えていたのだった。

 数日後の病院病理室。2台の顕微鏡で向かい合って同じ標本を観察する私は、病理部長のH先生が示すマイクロ波で照射したレバーの標本を顕微鏡でのぞいている。

「どうして牛の肝臓を焼いているの」

 と質問するH先生。

「手術中のマイクロ波でガンや肝組織に照射しても広い範囲で焼けないので、どうすればうまく焼けるかを考えていました」

「それで何が変わるのかね」

肝臓の血流を止めて照射すると、広く、よく焼けるということは、治療効果と治療範囲が上がるのです

 その後、電極が改良され、お腹を開けずに体外から電極を肝臓に挿入するマイクロ波凝固療法やラジオ波療法が普及し始めた。そんななか、T病院の放射線科にM先生が部長として赴任された。

 M先生は体の動脈や静脈の血管からバルーンカテーテルという風船つきの針金を入れて、肝臓動脈のみならず肝静脈も風船でふさぎ、一時的に肝臓の血流を完全に止めるテクニックを持っていた。私はM先生を説得して動物実験センターへつれて行き、麻酔をかけた豚の肝臓で血流を止めたマイクロ波実験を行った。そして、病院や患者さんの了解を得て、レントゲン室でM先生と共同で、肝臓の血流を止め、お腹を開けずに、1回のマイクロ波やラジオ波の照射、熱凝固で治療効果の高い肝ガン治療を実施した。患者さんは手術に比べ驚くほど負担が少なく確実に治療できることで、短期間で元気になり退院された。

 当時、外科仲間には「ホルモン焼き療法」とひやかされたが、今では肝血流を止める肝ガンの熱凝固療法は一般に知られるようになっている。

2010年2月24日 ダイヤモンドONLINE

| 肝臓がんが治った体験談 | |
2アウトから がんに勝つ プロ野球元巨人 横山さん 豊島で講演

「あきらめない!!がん治療も2アウトから」と題し、3度のがん闘病体験を語る横山忠夫さん

 プロ野球巨人の元投手で、三度にわたるがん治療を戦い抜いた横山忠夫さん(59)=豊島区=の初めての講演会が六日、豊島区民センター(東池袋一)で開かれた。同区のがん検診の受診率は5・3%。早期発見のため受診率を向上させ、がんという病気に対する理解を深めるのが狙い。妻敦子さん(54)からの生体肝移植など、家族の愛ときずなで三度のがんを克服した横山さんの熱弁に、涙をぬぐいながら聴き入る人もいた。 (西田義洋)

 横山さんは北海道・網走地方で生まれ育った。当時は野球が盛んではなく、中学・高校で野球部に入るが、監督は未経験者。自己流で投球フォームを覚え、高三の夏に甲子園に出場した。甲子園では一回戦で敗退したが、立教大(豊島区)に入学。一九七一年のドラフト一位で、巨人に入団し、ロッテを経て七八年に引退した。

 引退後は、巨人の先輩だった堀内恒夫さんの紹介で、有楽町の手打ちうどん店で修業を積んでから、池袋駅西口の母校・立教大近くの繁華街でうどん店「立山」を開店、店名には、「横になってはいけないぞ」という思いを込めた。

 店は大盛況で、第二の人生は順風満帆だったが、四十八歳だった九八年、大量に下血し、大腸がんが見つかり、緊急手術で約一メートル切除。三年後には、肝臓がんが見つかり切除したものの、七カ月後に再発。腫瘍(しゅよう)に栄養を運ぶ動脈をふさぐ治療を受けていたところ、二〇〇三年に医師から「放置すれば余命三カ月から半年。生体肝移植しか助かる方法はない」と宣告された。「もう少し検診を受けていれば…」と横山さん。

 敦子さんと長男、長女がそろって肝臓提供の意思を示し、敦子さんが「ぜひお願いします」と強く要望。夫とは体の大きさが異なるため「奥さんの三分の一では足りない」と言われたが、病院側が慎重に検討した上で、敦子さんが三分の二を提供。移植後は六年間再発していない。

 若いころから浴びるほど酒を飲んでいた横山さん。肝移植後は一滴も飲んでいない。「妻から何ものにも替え難いプレゼントをもらいました。せめて酒を飲まないで元気でいることが、お返しだと思っています」

2009年12月7日 東京新聞

| 肝臓がんが治った体験談 | |
がんを生きる:

 肝臓がん「余命3カ月」「頓死」の宣告

 ◇「無念残さぬよう」医師の言葉に違和感

 今年9月、がん患者会による講演会が大阪市内であり、がん患者ら約50人の参加者が熱心に耳を傾けた。講師は、医薬品メーカーに勤める吉村光信さん(54)=千葉県浦安市。放射線を利用し、がんが骨に転移して生じる痛みを和らげる「放射性医薬品」の臨床開発に携わった人だ。そして、「余命3カ月」と医師に宣告されながら、3年後の今も元気に働く「がんサバイバー」でもある。

 「来年の桜が見られるか、見られないかぐらいでしょう

 06年12月、精密検査のCT(コンピューター断層撮影)画像を見ながら、主治医が言った。肝臓のがん細胞が、静脈の内側に沿って心臓まで伸び、右心房の約3分の2を占めていた。会社の健康診断がきっかけで見つかったがんだった。症状は何もない。わずか1週間前には、別の病院で「手術できます」と言われていた。

 医師は続けた。「もしも、この心臓の腫瘍(しゅよう)がはがれて肺動脈が詰まると頓死です。今後どうするか、奥さんと話し合ってください。患者が無念さを残さないように、きちんとアドバイスするのが我々の仕事です」

 「3カ月」「頓死」……。だが、吉村さんは意外にも平然と受け入れた。がん患者の痛みを緩和する薬の臨床開発を01年から担当し、医師と接する機会は多い。緩和医療学会に出席するなど、末期がんの臨床現場にも詳しい。「医師は、普通は余命の告知はしない。言う場合も、短めにしか言わないものだと知っていた」。むしろ、「桜」を使ったうまい表現だと感じたという。

 だが、「無念さを残さないように」という医師の言葉には、違和感を感じた。「自分なりの死生観を持っているつもりなのに、自分より若い医師に人生のまとめ方を指示されるとは……」。思わず苦笑した。

 10歳の時に父(当時47歳)を、12歳で母(当時43歳)を亡くした。両親ともがんだった。自分が不幸だとはあまり思わなかった。この経験が、「人はなぜ生まれてきて、なぜ苦労して死んでいくんだろう」と考えるきっかけになったという。

 肝臓がんの治療には、手術やラジオ波焼灼(しょうしゃく)療法、肝動脈塞栓(そくせん)法などがある。心臓までがんが達した吉村さんには、根治をめざす標準治療は使えなかった。そこで、健康保険が適用されないような抗がん剤や免疫療法、イメージ療法なども試してみることにした。

 「せっかくがんになったんだから、いろんな治療方法を試して、完治したら他の患者さんにアドバイスできるようになりたい」

 やがて、奇跡的にがんは心臓から消え、肝臓だけになった。「がんと壮絶に戦ったというのではない。がんを認め、和解して消えてもらったという感じが近い」。吉村さんは話す。

| 肝臓がんが治った体験談 | |
がんと闘う74歳、ハングル弁論大会で特別賞

 韓流スターへのあこがれをきっかけに70歳から韓国語を学び始めた女性が、北九州市であった北九州ハングル弁論大会に出場し、特別賞を獲得した。同市小倉南区の蔵本康子さん(74)。肝臓がんと闘いながら、ハングル学習を支えに前向きに生きる。「私の生きがい」と題した蔵本さんの大会での弁論を交え、周囲を元気にしてくれる、その半生を追ってみた。

 《C型肝炎から肝硬変、肝臓がんへ進み、半年に1回の入院を繰り返しています。つえがないとよろける状態です》

 蔵本さんは20歳で北九州市内の小学校教諭に。50代後半、夫ががんになり、看病をしながら教壇に立ち続けた。定年が1年後に迫った夏、人間ドックで自分にも肝臓がんが見つかった。

 《20年以上前、出産したとき多量の輸血をしました。その血の中にC型ウイルスがいたのです》

 医師から治療に専念するよう勧められたが、断った。教員生活最後の6年生を担任していたためだ。入院はせず最後の子どもたちを卒業させた。

 そして、退職から7年。自宅で看病を続けてきた夫が他界した。

 《1年余り気が抜けてボーッとしていました。転機となったのが「冬のソナタ」。ペ・ヨンジュンさんにすっかり心を揺さぶられたのです。彼は日韓の張りつめた空気をそのしなやかさでほぐしてくれています。ヨンジュンさんと韓国語で話したい。その一心で韓国語の勉強を始めました》

 70歳の冬。ハングルの文法や参考書、ペさんのドラマや映画のDVDを買い込んだ。日本語の字幕とハングルの字幕を交互に見て発音を反復練習し、日常会話は支障がないレベルまで習得。韓国語にのめり込むと、不思議と体調も良くなった。知人の勧めで勇気を出して弁論大会に出場した。

 《ヨンジュンさんの愛読書に災難の種をついばむ青い鳥が出てきます。私の青い鳥は、がん細胞を食べてくれるのだと勝手に解釈しています》

 大会は18日、大学教授らでつくる実行委員会が主催し、国際村交流センターで開催。北九州市内の公民館などでハングルを学ぶ9人が出場した。

 蔵本さんの夢はペさんと対面すること。「ヨボヨボじゃ失礼ですから。いつもはしゃぎ回るおばあちゃんでいたいです」

2009年10月27日 西日本新聞

| 肝臓がんが治った体験談 | |
肝がんの2治療法を比較 早期患者の協力で東大など

 東アジアに患者が多いことで知られる肝臓がん(肝細胞がん)は、日本では比較的早い段階で発見されることが多い。早期段階では外科手術による切除と、肝臓に針を刺して熱でがんを破壊する「ラジオ波焼灼療法」のいずれかを用いている。しかし、明確な基準がなく、医師の好みや得手不得手などで治療方針が決められることもあるという。

東京大 などは今年から、早期段階の患者の協力を得て、がん再発率や生存率から二つの手法を比較し、優劣の有無などを検証する研究を始めた。「患者の自己負担額はほぼ同じ」(東大病院)とみられ、費用面の優遇はない。
 東大の国土典宏教授(肝胆膵外科)は「研究に参加しているのは肝臓がんの専門病院で、治療後の健康管理や再発時の治療態勢も整っている」と説明。「二つの治療法のどちらを選ぶかで迷っている方は、近い将来の患者さんたちのためにも、ぜひ参加をお願いしたい」と呼び掛けている。
 研究計画では、3年間かけて全国の75施設で同意を得られた患者600人を登録。治療効果を科学的に比較するため、年齢などを考慮した上で無作為に300人ずつに分け、それぞれ切除とラジオ波による治療を行う。
 患者登録終了から3年後にまず、がん再発率の違いを解析し公表する。生存率はさらに2年後に解析し、結果を公表する。再発などで2度目の治療が必要になった場合は、自由に治療法を選択できる。
 対象は20歳以上80歳未満、がんの大きさが3センチ以下で1〜3個の患者。「肝機能が悪化していない」「肝臓以外に明らかな病変がみられない」などの条件を満たしており、切除でもラジオ波でも治療可能と判断されるケースとなる。
 外科切除は、がんを目視で確認して確実に取り除くことができるが、患者の負担が比較的重く、回復にも時間がかかる。ラジオ波は傷が小さく患者の回復も早いが、超音波(エコー)検査の画像でしかがんを確認できないため「医師の技術の差が出やすい」(国土教授)。
 国内では、がんが大きめで肝機能が良い場合は切除が、がんが小さめで肝機能が低下している場合はラジオ波が用いられる傾向があるという。

2009/06/30 47NEWS

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肝臓がん 広がるラジオ波治療

肝臓移植の保険基準緩和

 肝臓がんは、年間死者数が3万4000人と、肺、胃、大腸がんに次いで多い。〈1〉手術〈2〉ラジオ波治療〈3〉肝動脈塞栓(そくせん)療法――が治療の3本柱だ。

 読売新聞は、日本肝臓学会の認定施設や大学病院、全国361医療機関に対し、2007年1年間の治療実績をアンケートした。回答のあった248施設(回収率69%)のうち、肝臓がんの大半を占める肝細胞がんの手術とラジオ波治療について、治療実績のあった施設を一覧にした。

 肝臓がんの約9割は、C型肝炎、B型肝炎のウイルス性肝炎が原因だ。このため、インターフェロンなどの薬物治療でウイルス性肝炎を治すことが、がんの発症予防につながる。

 がんの数が3個以内で、肝臓の機能が比較的保たれていれば、肝臓の一部を切除する手術や、おなかの外から電極の針を刺して熱でがんを焼くラジオ波治療の、いずれの方法でも治療が可能だ。ただしラジオ波治療は、がんの大きさが原則3センチ以内が対象だ。

 ラジオ波治療の実施数は、手術件数よりも約2・6倍多く、前年調査よりもさらに広がった。虎の門病院肝臓科部長の池田健次さんは「ラジオ波治療は再発がんに繰り返し行えることや、患者の高齢化で、体に負担の少ない治療を選択することが増えたためではないか」とみる。

 肝臓がんは、治療後、年15〜20%の割合で、肝臓の別の場所に再発する。がんの数が多い場合、再発を繰り返す場合などには、がんに栄養を運ぶ血管をゼラチンスポンジなどでふさぐ肝動脈塞栓療法が用いられる。

 今回の調査による3種類の治療の割合は、手術が11%、ラジオ波治療が28%、肝動脈塞栓療法が61%と、治療全体では肝動脈塞栓療法が最も多く行われていた。

 肝硬変が進んで通常の治療が難しい場合は、肝臓移植の対象になる。肝臓がんに対する生体肝移植は、04年から保険適用になった。5センチ以下のがんが1個だけか、3センチ以下なら3個以内が条件だが、ラジオ波などの治療によってがんの個数を減らした場合でもよいと、07年6月に保険の基準が緩和された。

 前年調査では移植を年10件以上行った施設は2か所だったのが、今回は7施設と増えた。日大板橋病院消化器外科教授の高山忠利さんは「基準緩和によって、医療機関もより積極的に移植に取り組むようになった」と話す。移植の件数は、別表に示した。(高橋圭史)

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肝臓がん エコー検診有効

「肝臓がん」の治療の現状について

――治療法について。

 手術とラジオ波治療、肝動脈塞栓(そくせん)療法の三つがある。根治する可能性が高いのが手術。ラジオ波は、高周波発生装置とつないだ電極針を肝臓に刺しがんを焼く。肝動脈塞栓療法は、がんに栄養を運ぶ血管をふさぐ。根治する可能性は低いが、腫瘍(しゅよう)が多数あるなどした場合には、有効となる。ただ、検査で肝機能が低下していれば、治療そのものが出来ない。

――手術に際しては多量の出血が懸念されるが。

 約20年前は“血の海”という状態だったが、現在は組織自体を固めて出血を止める装置が開発されるなど、ほかの手術と変わらなくなった。がんの出来た位置によって、肝臓組織を切り取る部分も違う。当院では特殊な検査法を用い、肝機能の状態を調べたうえで、がんが根治する可能性を確保するとともに、肝不全を起こさないよう、必要な範囲で切除している。

――ラジオ波治療が適応される条件は。

 大きさ3センチ、腫瘍数が三つ以内とされているが、病院によっては、もっと適応範囲を広くしているところもある。本来は内科の治療だが、大血管の近くなどに腫瘍があって体外から焼くことが困難な場合や、肝機能が弱っている時に、開腹したうえで針で焼くこともある。

――肝移植について。

 肝機能が悪い患者に対する治療法だが、1999年2月に鹿児島大病院で生体肝移植が行われて以来、県内では実施例はない。九州では、九州大、熊本大など各大学病院で行われている。

――肝臓がんの原因は。

 9割がウイルス性肝炎とされる。当院は肝炎の患者が多く、肝臓がんの治療例も多い。ただ最近では、「非アルコール性脂肪肝炎(NASH)」という病気によるものが増えてきたというイメージがある。NASHは、いわゆる「メタボリック・シンドローム」が影響するといわれる。

――予防法は。

 肝臓がんは痛みがなく気づきにくい。唯一の自覚症状といえば、がんの破裂で激しい痛みを伴うことだが、こうなるとかなり進行した状態。予防については検診が一番。血液中から特定の物質を測定する「腫瘍マーカー」という検査もあるが、肝炎が治る際に数字が大きく動くことがあり、必ずしもがんになっていない場合もある。やはり、エコーが最も手軽で有効となる。

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