RECOMMEND
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
OTHERS
 
癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報
がん治療「深い感謝」筆で 静岡の書家、病院に寄贈

 2009年に胃がんを患い、県立総合病院(神原啓文院長、静岡市葵区)で治療を受けた書道家水野林祐さん(74)=同区田町=は2日、入院中などに抱いた感謝の気持ちを込めて書いた書を同病院に寄贈した。
 水野さんは09年10月、胃がんの手術と治療のため1カ月ほど同病院に入院し、担当医や看護師に手厚い看護を受けた。その後も胃がんの経過観察や他の病気の治療で病院を訪れ、やさしく接してもらうたびに、感謝の気持ちが高まった。

 病院に対して何か恩返しができないかと考えた水野さんは、書を贈ることを決め、10年12月から制作に取りかかった。
 書は、澄んだ気持ちで物事を見るという意味の「澄観」(ちょうかん)の文字をしたためた。水野さんはこの言葉を選んだ理由を「病気を治すには、きれいで澄んだ心でいることが大切だと考えた」と説明した。
 同病院で行われた贈呈式で、神原院長は「貴重な作品をありがとうございます。ぜひ多くの人に見てもらいたい」とあいさつして、水野さんに感謝状を手渡した。
 同病院によると、書は本館1階の廊下に飾る予定だという。水野さんは「感謝の心を筆に込めた作品を病院を訪れる人に見てもらい、少しでも心を癒やしてもらいたい」と話した。

2011年3月3日 静岡新聞

| 胃がんが治った体験談 | |

夫婦愛、末期がんに勝つ 長浜の元看護師が講演

 末期の胃がんで余命3カ月と宣告されながらも、夫と二人三脚で闘病生活を乗り切ってきた長浜市の元看護師泉みどりさん(26)が5日、同市勝町の六荘公 民館で講演した。演題は「『がんは愛に弱い』は本当だった! 末期からの復活」。いつものように夫の会社員浩太さん(26)がそばに寄り添っていた。

 看護師として多忙な日々を送るみどりさんに末期の胃がんが見つかったのは2009年1月だった。交際していた浩太さんは一緒に乗り切ることを決意。翌2月にがんが転移した卵巣の摘出手術を受け、「余命は早くて3カ月、よく生きても年は越せないだろう」と告げられた。

 その後のつらい抗がん剤治療も浩太さんや家族の励ましで乗り切り、浩太さんの提案で4月に身内だけで結婚式を挙げた。みどりさんの意向で婚姻届は出さなかった。病状が落ち着いたため、7月に2回目の手術で胃の3分の2を摘出した。

 みどりさんは、浩太さんから「婚姻届を出そうよ」と説得され続けた。ついに承諾し、昨年4月、知人や友人ら約100人を呼んで2度目の結婚式を挙げた。 そして12月には夫婦でホノルルマラソンツアーに参加、42.195キロを約8時間で完走した。今は通院しながら治療を続ける。

 みどりさんは約2年間の闘病生活をふり返りながら「がんは愛に弱いんだと思った。どんな治療よりも、大事な人から愛をもらうと『この人のために生きてい たい』と思う。その思いが細胞の一つ一つに呼びかけて私を元気にしてくれている」「がんになって人生のリセットをさせてもらったように思う。家族や友人、 支えてくれる人々が本当にありがたいと感じた」などと語りかけた。

 浩太さんも「自分一人で生きることはできない。妻がいるから、僕もこうして楽しく生きている」「今という時間を大切に生きることが大事なんだと妻から教えられた」などと語った。

 講演は六荘地区地域づくり協議会が主催した。約120人の市民が集まった。会場からは「ポジティブに生きる姿に感動した」「これからも頑張って下さい」と激励の声が寄せられた。(堀川敬部)

2011年2月6日 朝日新聞

| 胃がんが治った体験談 | |
がん公表の岩野市議が「復帰」、健診や検査の重要性訴え/三浦

がん
の手術を終え一般質問を行う岩野さん=三浦市議会

 昨年12月、三浦市議会定例会の本会議で、胃がんにより闘病中であることを公表した市議の岩野匡史さん(69)が8日、手術を終え、開会中の3月定例会で一般質問を行った。岩野さんのがん公表がきっかけで検査を受けた市民がいたといい、岩野さんは議場で再び健診や検査の重要性を訴えた。

 岩野さんは、昨年の市議会12月定例会終了後、市立病院で、胃の3分の2を切除する手術を受けた。10日後に退院し、現在は食生活を含め、以前とほとんど変わらない状態に回復したという。

 登壇した岩野さんは、「健康であるが故に医療機関を訪れない市民が多いのも事実。わたしはたまたま早期発見で助けられた。1人でも多くの市民が検査や健診を受けるよう、行政も積極的に取り組んでほしい」と強調した。

2010年3月9日 神奈川新聞

| 胃がんが治った体験談 | |
腹腔内化学療法 胃がんの腹膜播種に効果

おなかの中にがん細胞が散らばって増大し、胃がんで死亡する患者の半数以上を苦しめるという腹膜播種。これまで効果的な治療法がなかったが、新しい治療法「腹腔内化学療法」が一定の成果をあげ、2009年11月、国から「高度医療」に認定された。(山崎光祥)

 千葉県の女性(41)は2005年11月下旬の昼過ぎ、突然へその下辺りに鈍い痛みを覚えた。夜になると、おなかを押さえただけで跳び上がるほどに悪化。搬送先の病院で、痛みはがんのためだと分かり、さらに1週間後、進行の早いスキルス胃がんの末期だと告げられた。

すでに、がん細胞は胃の壁を突き破り、内臓を包む腹膜には、肉眼で見えない微小のがん細胞も含め、播種が無数に散らばっていた。内服や点滴で抗がん剤を全身投与しても、血流の少ない腹膜播種までは十分に行き渡らないため、余命は良くて半年とみられた。

2人の息子は、まだ小学6年と2年。「小さい息子たちに母親がいなくなることが、かわいそうでならなかった」と振り返る。

通院で抗がん剤治療を受けたが、播種は少しずつ増大。発見から1年半後には直腸が圧迫されて便が出にくくなった。

そんな時、インターネットで東京大腫瘍外科助教の石神浩徳さんらが実施中の腹腔内化学療法を見つけた。

この治療法は、欧米では卵巣がんの腹膜播種に対して行われている。ポートという薬液の差し込み口をおなかの皮下に埋め込み、それに接続されたカテーテル(細い管)を腹腔内に留置。生理食塩水1リットルに溶かした抗がん剤「パクリタキセル」(一般名)をポートに注ぎ込むと、腹腔内が薬液で満たされ、腹膜の表面にくまなく浸透する。

 女性は別の抗がん剤TS―1」(一般名テガフール・ギメラシル・オテラシル)の内服と併用して、週1回程度のペースで点滴と腹腔内への投与を受けた。すると便秘は少しずつ改善。2か月後には治療と同時に始めた栄養点滴を外し、普通の食事ができた。

 さらに半年後には腹膜播種が消え、胃のすべてと大腸の一部を摘出した。突然の腹痛から4年余りたった現在も治療は続いているが、明らかながんの進行はみられない。女性は「体重は37キロから43キロに増え、駅の階段も軽く駆け上がれるようになった」と喜ぶ。

 石神さんらが腹膜播種のある胃がん患者40人に治療を行ったところ、生存期間の中央値(真ん中の人の値)は23か月だった。腹膜播種の進行に伴ってたまる腹水も、21人中13人(62%)で量が減った。白血球の減少や嘔吐などの副作用は見られたが、いずれも通常の化学療法と同程度だった。

胃がんに対する腹腔内化学療法は09年11月に国から高度医療に認定され、東京大では一定の条件を満たした患者に対し、保険診療との併用で実施している。一方、金沢大、福井大、大阪大でも臨床研究として治療を行っている。

石神さんは「腹膜播種を抑え、患者の余命を延ばすこともできる有望な治療法だと思う。保険が適用され、多くの施設で行えるよう努力したい」としている。

2010年2月25日 読売新聞

| 胃がんが治った体験談 | |
がんと闘い 初マラソンへ

 がんで胃のすべてを切除した府中市広谷町の団体職員皿海英幸さん(56)が13日、フルマラソンに初挑戦する。「支えてくれる家族や患者仲間に感謝し、精いっぱい走りたい」と張り切っている。

 2005年末に悪性度の高いスキルス胃がんが見つかり、抗がん剤治療を経て06年8月に胃を全摘した。経過は良好だが、消化などを助ける薬や定期的な検査は欠かせない。

 走るのはもともと好きだった。20代半ばで駅伝大会に出場。長距離走にはまり、10キロマラソンを中心に大会出場を続けていた。「お父さんなら胃がなくても走れるよ」。昨年末に聞いた妻の言葉で、フルマラソンを決意したという。

 出場するのは宮崎市である国際青島太平洋マラソン。2月から本格的に練習を始め、仕事後に5キロ、休日は20〜30キロを走り込んだ。「スタミナが切れやすく、血糖値の変動も激しい」というハンディはウエストバッグにしのばせる栄養食品で補うつもりだ。

 制限タイム(6時間半)以内での完走が目標。「フル完走は大きな自信になる。患者仲間に明るい話題を届けたい」と皿海さん。楽しみながらゴールを目指す。

2009年12月10日 中国新聞

| 胃がんが治った体験談 | |
胃がんの再発7割予測、がんセンターが新システム

 胃がんの手術後の再発を7割の確率で予測できるシステムを、国立がんセンター研究所の佐々木博己室長らが開発した。

 手術後に隣接する腹膜への転移が見つかる例が多い胃がんの再発防止に役立つものと期待される。

 推定10万人いる全国の胃がん患者のうち、手術前に転移したがんが術後に見つかる「再発」は全体の3〜4割。その原因の半数以上は胃に隣接する腹膜への転移が占める。胃がん摘出前に、顕微鏡で転移の有無を調べているが、小さいがん細胞を見つけ損ね、数年後に再発することが多い。

 佐々木室長らは、腹膜細胞内の胃がんに特徴的なRNA(リボ核酸)だけに付着する物質と、その有無を判別する装置を開発。これを使い、進行した胃がん患者191人を手術後に調べた結果、顕微鏡でがん細胞が見つかった患者34人全員に加え、顕微鏡では見つからなかった36人でも陽性反応が出た。計70人のうち4年目までに再発したのは52人。再発患者は全体で75人おり、その7割を予想できた計算になる。

 佐々木室長は「腹膜のがんの位置はまだ特定できないので摘出は難しいが、胃がん手術と腹膜の抗がん剤治療を併用すれば、再発は減らせる」と話している。

2009年10月5日 読売新聞

| 胃がんが治った体験談 | |
「体動く限りコートに」…胃がん克服、高坂さん
ねんりんピック、ソフトバレー出場
胃がんを克服し、現役でプレーを続ける高坂さん
 60歳以上の人たちによる健康と福祉の祭典「第22回全国健康福祉祭(ねんりんピック)」が5日、道内16市町を会場に開幕する。旭川市で行われるソフトバレーボールには、7年前に検診でがんが見つかり、胃のほとんどを摘出した札幌市厚別区の高坂猛さん(68)が出場する。「バレーのできない人生なんてつまらない。体が動く限り、コートに立ちます」という高坂さん。今では抗がん剤を必要としないまでに回復し、大会を楽しみにしている。

 高坂さんは、道立名寄高でバレーボールを始め、札幌市職員になってからもセッターとして活躍した。ゴム製ボールを使うソフトバレーボールへ“転向”してからは、年をとっても一緒に楽しめる仲間を増やそうと、1997年に、中心となってクラブチーム「札幌さくら」を結成、監督兼選手として活動している。

 しかし、2002年の秋に検診で、胃に腫瘍(しゅよう)が見つかった。再検査でがんと診断され03年2月、手術で胃の約3分の2や胆のうなどを切除。執刀医から「進行性のがん」と説明された時は、「『再発するかも』と思い詰め、覚悟もしました」と振り返る。

 幸い、術後の経過は良好で、退院後は体力の回復を図りながら、バレーを続けている。高坂さんは「コートに立っていると、生きている実感がある」という。

 大会に向けて、春から週に1回、約2時間の練習を積んできた高坂さんは、「バレーができることと、一緒に汗を流してくれる仲間がいることに感謝しています」と話し、1勝を目指す。

2009年9月4日 読売新聞

| 胃がんが治った体験談 | |
今度はモンブランに がん闘病中、登山続ける行橋の井上さんが旅立つ

 胃がん手術を受けた後も登山を続ける行橋市上検地の会社員、井上隆さん(58)が欧州の秀峰モンブラン(4810メートル)に旅立った。診断は「5年後の生存率は40%」。だからこそ「生ある限り挑戦を続けたい」と話す。

 井上さんは20代から当時勤めていた北九州市の井筒屋の山岳同好会に所属して、長野県の槍ケ岳や八ケ岳を単独踏破してきた“山男”だ。がんは早期退職後の07年6月、胃に見つかり、4分の3を摘出する手術を受けた。先月も足の付け根に転移したがんを切除されたばかり。

 「がんのお陰で『やりたいことはやろう』と、念願の海外登山を決意できた」と井上さんは言う。

 まず、昨年5月にヒマラヤ・アイランドピーク登頂に成功。さらに「次はモンブラン」と目標を定め、6月に体調作りのため、新潟県の越後三山に登り、今月21日には衆院選の期日前投票を済ませてフランスへ旅立った。ベースキャンプ地入りは26日。高度に体を慣らしつつ、9月1日までの滞在期間中に登山ガイドと頂上へアタックする好天時を待つ。

 夏も万年雪に覆われた高峰。「30年を超す登山人生で一番苦しかった」アイランドピークに並ぶ困難が予想されるが「最後のチャンスかもしれない。天候に恵まれ、登頂したい」と祈る。その一方で「命が続くなら次はキリマンジャロ」とも。帰国後はがん剤治療を受けながら、新たな目標を追う。

2009年8月25日 毎日新聞


| 胃がんが治った体験談 | |
藤原が胃がん手術から復活/IGF

胃がんから復活した藤原喜明(60)が、回復ぶりをアピールした。昨年12月の復帰戦で敗れた初代タイガーマスクと再戦。頭突きの応酬の末、時間切れで引き分けたものの、相手から「レスリング力が戻ってきた」と称賛された。07年10月に手術を受け、抗がん剤の影響で「トレーニングしても筋肉がつきにくい」と告白。それでも、今後も月1回ペースで試合に出る予定で「負けちゃいられねぇ」と自分に言い聞かせていた。

2009年8月10日 日刊スポーツ

| 胃がんが治った体験談 | |
乳がんに対する治療を継続中 - 49歳,女性,自営業

2006年6月に進行性乳がんの告知をされました。胸にしこりらしいものがあることに何年か前に気が付いていたのにもかかわらず生理の時に大きくなってあとは小さくなるので乳腺症と思っていました。
しかし2006年の3月ごろから急にしこりらしきものが大きくなり左胸がぼこぼこになるくらい一気に広がっていきました。
ただ事ではないと感じ乳腺外科で有名な先生を受診。ひとりで行きました。私の胸を見てこれはと医師は絶句です。その時に私はがんと悟りました。すでにステージB。CTの画像は私の左胸いっぱいにがんはひろがり胸骨をも巻き込んでいました。幸いリンパ節転移だけで多臓器への転移は見られませんでした。
この状態で手術できることをラッキーと思いなさいと言われたことが今も脳裏にやきついています。がんが大きかったた為皮膚移植までしました。術後は毎週の抗がん剤治療を1年間。4週に1度の抗がん剤を半年つづけました。ホルモン受容体が陽性だったこともありホルモン剤での治療も受けました。 2年再発しなかったらリスクが低くなるよ。胸のポートも抜こうかといわれていた今年6月に骨転移が発見されました。
初診時がBであったためある程度の覚悟はしてくださいと言われていたのでやっぱり来たかっていう感じでした。
今は4週に1度の点滴とホルモン剤を服用しながら頑張って治療を継続しています。がんが分かる前から自分の店を持とうと心に誓っていたのでがんになっても自分の店をオープンさせました。
治療のあとはさすがにしんどいですが治療日以外休むことなくサロン運営をしています。
勇気づけられた言葉、場面

主人に進行がんだからすぐに手術をしないと危ないらしい。おっぱいなくなっちゃうけどいい?って聞いた時どんな姿になっても貴方にかわりはないよって言ってくれた時本当にうれしかった。
当時勤めていたお店のオーナーが術後お見舞いに来てくれて自分のお店を出したかったら出したらいいよ。いつまでも待ってあげると言われた時。がんばって治そうと思った。
今も生きがいを持ってお店をできることは幸せなことだと思うよ。
あなたはすごいねって言われたときすべての辛さや苦しさが吹っ飛びました。
主治医もあなたが苦しくないようになんとかしてあげたいと寄り添ってくれるのでとてもいい先生に出会えたと感謝しています。

| 胃がんが治った体験談 | |