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癌(がん)が治った、癌(がん)が良くなった、癌(がん)が回復した体験談情報
肺がん治療 遺伝子検査で薬使い分け
 
肺がんに対する抗がん剤

 右肺に影が見つかり、細胞検査で肺がんの半数を占める「腺がん」と診断された62歳男性は2007年5月、癌研有明病院(東京都江東区)で手術を受けた。しかし、切開すると、すでに肺を覆う胸膜にがんが散らばっていて、取り除くことはできなかった。

 説明を受けた男性は「治らないなら、もうどうでもいいや」と一時は自暴自棄になりかけた。だが、すぐ思い直した。娘2人はまだ学生。「社会に送り出すまで生活を支えてやりたい。出来る限りがんばろう」と前を向いた。

 肺がん患者のうち、手術できるのは3〜4割程度。多くの進行した患者の治療は抗がん剤中心となる。男性は以後、同病院呼吸器内科副部長、西尾誠人さんと相談して治療を進めた。

 最初はプラチナ製剤などによる標準的な抗がん剤治療を受けた。3週に1度点滴。点滴直後4〜5日は吐き気がきつく、髪の毛も抜けたが、4回繰り返すとがんは縮小。1年間安定した。

再び悪化し始めると、今度は別の抗がん剤による治療を3週に1度、計5回受けた。副作用で手足にしびれが出たが、さらに1年悪化せずに済んだ。

しかし、診断から2年半が過ぎた昨年秋、またがんが動き始めた。背中の骨にも転移し、少し痛んだ。

近年、分子標的薬と呼ばれる新しいタイプの抗がん剤が登場している。最近の研究で、「イレッサ」(一般名ゲフィチニブ)や「タルセバ」(一般名エルロチニブ)は、特定の遺伝子に変異がある患者に効果が大きいことがわかってきた。

また、昨年保険適用になった「アリムタ」(一般名ペメトレキセド)は、肺がんの中でも、腺がんや大細胞がんには効果がみられるが、喫煙と関係が深い扁平上皮がんでは、従来の薬に劣るとの報告もある。

男性は腺がんで遺伝子変異もある。今年初め、まずアリムタの点滴治療を試した。効果はあまり表れず、5月から毎朝1錠イレッサを飲み始めたところ、再びがんが縮小、骨も痛まなくなった。

手術不能とされた肺がんが見つかって3年余り。男性は「副作用が強い時期はつらいが、収まれば気分も前向きになり、仕事も続けてこられた。ゴルフも毎月やっている」と話す。

イレッサは以前、副作用の間質性肺炎による死亡が相次いだ。「現在は、遺伝子検査をして効果が期待できる人を対象にしている。喫煙歴が長く肺炎の危険がある人には慎重になる」と西尾さん。肺がんの薬物治療は、患者一人ひとりのがんの性質に合わせた使い分けが進んでいる。

2010年8月19日 読売新聞

| 肺がんが治った体験談 | |
肺がん梨元さん「自分のことも伝えたい」

 芸能リポーター梨元勝氏(65)が肺がんで、都内の病院に入院していることが6日、分かった。1カ月前からせきが続き、検査を受けたところ右肺に影があると診断され、肺の細胞を採取する精密検査の結果、肺がんと分かった。手術はせず、抗がん剤治療の予定で、入院期間は少なくとも1カ月となる予定だ。ゴシップだけでなく、数多くの著名人の闘病も取材してきた梨元氏は「自分のこともきっちり伝えたい」と、自らのサイトで病状経過を報告する。

 梨元氏が体調の異変に気づいたのは5月初旬。がんの転移の有無、どの薬が効くかなどを調べた後、来週末から治療に入る予定。タレント顔負けの芸能リポーターとして、ゴシップだけでなく、数多くの著名人の闘病も取材してきた。梨元氏は「同じような病気と闘っている方々の励みになると思って、取材してきました。恐縮ですが、私もそんな存在になれれば」と話している。

2010年6月7日 ニッカンスポーツ

| 肺がんが治った体験談 | |
がん4度手術の鳥越俊太郎氏が健康自慢

 ジャーナリスト鳥越俊太郎氏(70)が30日、都内で、BS朝日「鳥越俊太郎 医療の現場!」(土曜午後6時)のテキストMOOK(講談社)発売記念サイン会に出席した。番組は08年4月にスタート。2年間続けてきて感じたこととして鳥越氏は「人間は数え切れない病気を持ってるんだなということ」を挙げた。「こんなに病気ってあったのか。毎週2年間やってもまだ尽きない」と驚いているという。

 05年以降4度のがん手術を経験したが、現在は体調も良く、「食事、睡眠、運動の3つをしっかりやって免疫力を高めている」と健康に自信を見せた。13日に古希を迎えたが、「小さいころ70といえばおじいちゃんだった。自分には自覚がない。今の時代に生きてる人は年齢との感覚がずれてるから、実際の年齢の7ガケくらいかな。50前だなというのが実感」と若さもアピールした。

2010年3月30日 日刊スポーツ

| 肺がんが治った体験談 | |
鳥越さんが闘病体験語る、がん治療市民フォーラム

市民フォーラム「長寿を目指して」(同実行委、(財)日本対がん協会、わかやま新報共催)が20日、和歌山市民会館大ホールで開かれ、約1300人ががんの先進治療の意義や限界などを学んだ。特別講演ではテレビでもなじみのある鳥越俊太郎さんが闘病体験を話し、予後の食事や運動、睡眠の大切さを訴えた。

6回目となることしのテーマは「古き皮袋に新しき酒を~がん治療の標準治療・代替治療・先進治療~」。

フォーラムは日赤和歌山医療センター泌尿器科の金岡俊雄副部長が、厚生労働科学研究~がんの社会学~と題し基調講演を行い、同科の林正部長が先進医療の意義・限界ついて教育講演した。

鳥越俊太郎さんは、5年前発症した大腸がん、その1年後には左右の肺がん、さらに昨年見つかった肝臓がん4度のがん手術を乗り越えた自身の体験談「がんと向き合って」を講演した。

鳥越さんは、大腸がんの告知を受ける際、目の前に出されたレントゲンフィルムを見てがんであるだろうと予測できたといい、主治医に向かって「良性のものではありませんね」と尋ねると「はい良性ではありませんが、切除すればいいんですよ」と告げられた様子などを話した。またがんになって以来心掛けていることについては「食事、睡眠、運動を励行し、病気に負けないよう免疫力を高めている」と語り、参加者にもその実践を訴えた。最後に3氏による「生の尊厳」の討論会も行われ、その中で林部長は「がんと言われるとすぐ死ぬのではという心の躊躇(ちゅうちょ)が人を苦しめる。公的な病院がこのような講演会などをより増やし、皆さんに病気の怖さを少しでもぬぐってもらえたら」と今後もフォーラムを続けて行くことを話していた。

2010年2月25日 わかやま新報

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肝がん発症に新メカニズム 東北大グループが解明

 東北大大学院医学系研究科の山本雅之教授(医化学)と、東京都臨床医学総合研究所の小松雅明副参事研究員らのグループが、肝臓がんの発症を引き起こす新たなメカニズムの一端を解明した。特定のタンパク質の過剰な蓄積が、がん細胞の増殖に有利な環境をつくり出していることを発見。新たな抗がん剤や治療法の開発につながる可能性が高いという。

 肝臓がん患者の体内にはタンパク質の一種「p62」が過剰に蓄積することが知られていたが、がん発症のメカニズムとの関連は不明だった。山本教授らはマウスを用いた実験で、p62と生体防御をつかさどる細胞内のセンサー分子(タンパク質)とが結合することで、特定の酵素群が過剰に発生し、がん細胞の増殖を助けていることを突き止めた。

 肝臓がんによる国内の死者は年間3万人を超え、2008年の国立がんセンターの統計では肺がん胃がんに次いで3番目に多い。肝硬変からがんに進行する患者が大半で、肝機能が低下した状態で広範囲の切除手術をするため、術後に肝不全を発症し死亡するケースが多いという。

 山本教授は「p62の発現を阻害する物質を特定し、効率よく減らす薬剤を開発できれば、広範囲を切除せずに、肝機能を温存しながら治療できる可能性が高い」と説明している。

 研究成果は、英科学誌ネイチャーの姉妹紙「ネイチャー・セル・バイオロジー」(オンライン版)に掲載された。

2010年02月22日 河北新報

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ザ・ナックのヴォーカル、と闘病中

「マイ・シャローナ」のヒットで人気を得たパワー・ポップ・バンド、ザ・ナックのフロントマンであるダグ・ファイガーが、及び脳腫瘍と闘病している。デトロイトの地元紙語ったところによると、現在までに3回の開頭手術と放射線治療を受けたという。

現在57歳のダグにが見つかったのは6年前の2004年。以来、治療を続けながら再結成したザ・ナックで精力的に活動を続け、2005年にはフジ・ロック・フェスティバル出演のため来日も果たしている。

しかし度重なる再発は完治せず、現在は痛みを抑える治療を受けつつ、体力の続く限りギターを弾いていくとのこと。ダグは自身の余命について「覚悟はしている」としながらも、彼の祖母が宣告を受けてから21年間生きたことも忘れていないという。「死ぬってことが最悪の事態なのかどうかはわからないよ。天国に着いたら自分に蹴りを入れて『なんでもっと早くここに来なかったんだ?』って言うかもしれない」

ザ・ナックが1979年に発表したシングル「マイ・シャローナ」は全米チャート6週連続1位を記録するヒットとなり、デビュー作『ゲット・ザ・ナック』は600万枚を超えるセールスを記録。パワー・ポップの名盤として知られている。

2010年2月12日 バークス

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がんと闘う妻を走りで励ます」 県下一周駅伝出場の土肥正幸さん

県下一周駅伝を控え、練習に励む土肥さん。「妻に力を与えたい」と闘志を燃やす=島原市宮の町
 島原署員の土肥正幸さん(45)は、12〜14日の3日間行われる郡市対抗県下一周駅伝(長崎新聞社など主催)を控え練習に打ち込んでいる。チーム最年長、26回目出場のベテラン。今年は、がんを患い再発の不安を抱える妻を勇気づけようと、誓いも新たにスタートラインに立つ。

 平戸市大島村出身。県立猶興館高時代に陸上と出合い、久留米大進学後に本格的に始めた。警察官になってからは県警駅伝部に所属。九州管区駅伝大会6年連続優勝や、全国マスターズロードレース(ハーフマラソン)優勝など数々の実績を重ね、1999年度の県民表彰スポーツ賞も受けた。九州一周駅伝には、本県代表として83年から2003年まで最多の21回連続出場を果たした。

 県下一周駅伝には84年から、約15年前の1回を除き毎回出場。今年も住居がある諫早のコーチ兼選手として、チームを引っ張る。

 08年秋、妻の恵美子さん(42)の肺にがんが見つかった。同年春、恵美子さんの妹ががんで亡くなったことから、検診したことがきっかけだった。「リアルに『家族の死』を意識した。つらかった」と振り返る。

 恵美子さんは、国立病院機構九州医療センター(福岡市)に入院。同年11月に手術を受け、左肺を半分切除した。術後は、せきでの痛みや息切れなどに苦しんだ。現在の経過は良好だが、2カ月に1回同センターへ検査に通い、再発への不安は消えていない。

 恵美子さんは夫が出場する県下一周駅伝を楽しみに、毎年応援に駆け付けていた。だが、昨年の大会中は自宅で療養。今回は手術後初めて、沿道で夫の勇姿を見守る。中学で陸上に取り組み、高校受験を目前に控える長男の健太君(14)、長女のくるみさん(12)の存在も大きな支えだ。

 土肥さんは島原署地域課に勤務する傍ら、出勤前の毎朝午前5時半ごろから8〜10キロ、休日には20〜30キロを走り、トレーニングを重ねている。昨年12月に腰を痛め、コンディションは万全ではない。それでも「自分が懸命に走ることで、病気と闘う妻に『おまえも頑張れ』と励ますことができれば」と闘志を燃やす。昨年8位だったチームの順位を押し上げるため、そして家族のため、大会にかける思いは熱い。

2010年2月5日 長崎新聞

| 肺がんが治った体験談 | |
演出家の つかこうへい 氏が、がんを公表した。抗がん剤投与の治療を受けながら病室でビデオを見てチェックをしており「昨日今日で、ほぼ完ぺきなものができあがっております。どうぞお芝居をお楽しみください」と自信をみせている。会見などの予定はないが、2月3日の初日前に行われる舞台げいこまでの復帰を目指している。

つかこうへい肺ガン告白 ヘビースモーカーだったが最近禁煙

肺がんを告白したつか氏(写真は07年4月、紫綬褒章受章の記者会見)【拡大】

 劇作家のつかこうへい氏(61)が25日、肺がんを患っていることを報道各社に送ったファクスで明らかにした。つか氏は現在、病院で抗がん剤の投与を受けており、病床から来月に開幕する舞台の演出を手がけている。

 がんが見つかったのは昨年9月。ファクスでつか氏は「キャスティング等、全て決まった後の肺がんの告知でございましたので、まことに辛うございました」とコメントを寄せた。

 つか氏は現在、黒木メイサ(21)主演で2月3日に開幕する舞台「飛龍伝2010 ラストプリンセス」(東京・東銀座の新橋演舞場)を控えている。がんが見つかって以後、昨年11月ごろからは演出助手がビデオに撮影したけいこの様子を病院で見て指示を与えており、「昨日今日で、ほぼ完璧なものができあがっております。どうぞお芝居をお楽しみくださいませ」と述べ、舞台は予定通り行う考えを示した。

 つか氏は12月9日に都内で行われた同舞台の制作発表会見には「かぜによる発熱」との理由で欠席していた。

 つか氏は「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」などで知られる日本の劇作・演出界の第一人者。2007年には紫綬褒章を受章している。以前はヘビースモーカーで知られていたが、最近は禁煙していたという。


2010年1月25日 ZAKZAK

| 肺がんが治った体験談 | |
井上ひさしさんが肺がん

 作家の井上ひさしさん(75)が肺がんのため療養中であることが、16日までに分かった。
 井上さんの事務所によると、新作戯曲を書き上げた10月末ごろから体調不良を訴え、検査の結果、肺がんと診断された。入院はせず、通院で抗がん剤の投与を受けているという。経過は良好で、来年春には仕事に復帰したいとしている。

2009/12/16 毎日新聞

| 肺がんが治った体験談 | |
90歳女性 肺がん手術成功
草津総合病院 来週退院へ

手術に成功した橋本さんと主治医の石田医師(草津市矢橋町・草津総合病院)

 草津総合病院(滋賀県草津市矢橋町)がこのほど、90歳の女性の肺がん手術に成功した。内視鏡(胸腔(きょうくう)鏡)を用いた手術で、術後の経過も良好だ。桑原正喜院長(65)は「90歳以上の高齢者に肺がんの手術を行う例は聞いたことがない。高齢でも、条件さえ整えば治癒できる証し」と話す。

 手術を受けたのは、草津市草津1丁目の橋本春江さん。6月から肺がんの疑いで診察を受けていたが、血たんが増えたため10月に入院。画像診断で左の肺に直径約5センチのがんが確認された。

 担当の石田久雄医師(48)らは、転移もなく、橋本さんが自分で歩けることなどから手術できると判断。橋本さんも希望したため、11月24日に手術を行った。内視鏡手術で胸を2カ所、各数センチほど切開してカメラなどを挿入、計2時間40分でがんのある左の肺の半分を摘出した。

 経過は良好で、来週に退院の予定。橋本さんは「まだ手術後の痛みは残るが、随分元気になった。手術をしてよかった」と喜ぶ。
 石田医師は「高齢でもあきらめずに治療の道を探ることが大切だと思う」と話している。

2009年12月14日 京都新聞

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